たまごボーロ〜たねやのお饅頭まで、相変わらず素晴らしいラインナップ。

言うまでもなく歌会のお茶受けのことです。

たまごボーロ。食べた記憶がないのに「懐かしい」と感じるのは、成長途中のどこかで口に含んでいる証拠のようなものだ。記憶とは所詮この程度のいい加減なものなのだろう。

7か月頃から食べられると明記されているけれど、十分に熟しきったいい大人が食べていいものかと、急に不安になる。そういうふうに思わせるような不穏な印象が『7か月頃から食べられます』にはただよう。

まず、『頃』というのがいけない。

体の大きさや歯の生え具合によって、当方ではなんともわからないので、購入者さまでどうぞご判断くださいと投げられている余波か、人生7か月を大昔に超えたばっかりに「いいのかなぁ、大丈夫かなぁ。こんなにやさしい味わいのお菓子だけど、まさか恐ろしいほどのカロリーが含まれているのではないでしょうね」などと余計なことを考える。

 

今回も秀悦な短歌が揃った。

気がつくと、たまごボーロをほろほろと口にいれている。

ぎゅぎゅぎゅっと絞った脳に、やさしい味はすっと溶けて、不思議と7か月頃の『気分』になるのだった。

それは過去なのに、まるで未来になったような新しい感触で、いつまでも閃くような手ざわりがした。

 

 

ぼーろとばーろーは似ている

 

 

窓はくに置く肘尖る建国の日    漕戸もり

 

建国記念日の街宣車はなぜあんなにも急いでいるのだろう。

そのせいか「ばーろーばーろー」としか聞こえてこない。

それでいいのだろう。とにかく苛立っておきたいのだと思う。