春のいちばん悪い体調の只中。

尽きることのない水源から、粘質の全くない(ありようだけいえばきれいな)水を鼻から垂れ、ビニールを被せたような頭でいると、走っている群れからどんどんどんどん遅れをとり、沿道に給水を知らせてくれる声も途絶え、ただそこに道があるから仕力なく歩いているような感覚になる。

人生最期の晩餐というのは、よく語られるテーマであるが、雨後の生物がうずうずしているような季節に湿った体でいると、これが人生最期というわけではなかろうが、旨い酒と寿司を食べたいとは決して思わない。

 

録画しておいたNHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を観る。

坂本さんが、音楽を聴くためには力が要るというようなことを言っていた。

その彼が病の中で聴いていたのは雨音だった。

大病をえた超人と、花粉症ごときで挫けている凡人を並べるつもりは毛頭ない。

けれど、人も自然の一部だとしたら、最期は自然に委ねるようなかたちがいちばんやすらぐのだろう。

人、という平らかに於いて。

 

雨の音。坂本さんが8時間のYouTubeっておっしゃっていたのはこちらかな、と思って。

※削除されていたらごめんなさい

 

鼻垂れのわたしは、寿司でも酒でもなく、白湯と白いコッペパンを頬張っている。

もうすこし歩かないと。

 

 

鯨幕洗ふ銀糸の春驟雨     漕戸 もり

 

 

坂本さんの銀色の髪を撫でていた雨音。

聴いていると雨になってしまいそうです。