十数年ぶりにいただいたお薬手帳。
不名誉な1頁目に貼りつけられたのは降圧剤。
心臓の検査をするため、オルメサルタンをやめてしばらくはこちらの薬を服用とのこと。
何度聞いても薬の変更理由がちっとも頭に入ってこないのだけど、要するにサルタンはホルモンに影響を及ぼす薬のため、正しい検査結果が得られないということらしい。
わたし、あってます?
こういうとき、もうすこしまともな脳みそを備えて生まれたかったと心底おもう。
友人の東大くん(仮称)は、性格も風貌もパッとしないけれど(失礼)、生活に必要な高度(に見えるような)な疑問に直面したときは、だれよりもすばやく反応し、解き明かし、解答を得る。
料理に、靴紐の長さに、コインランドリーの是非に関するようなどうでもいい知恵や知識ですら、わたしが経験からこたえを導くのに対し、彼は数字や宇宙などから、経験値以上の正解を目の前に差し出す。
つきあいも長いので、これまで何百回どうしてわかるのか、と聞いているのだけど「どうしてといわれても…。てへへ」などとそのたび誤魔化される。
本人すらも説明がつかないくらい、当然のこととしてわかってしまうのだろう。
逆に、いろいろわかり過ぎて生きるのが恐ろしくないかと聞いたことがあった。
いや、たのしいよ。
一巡廻って知り過ぎると達観してしまうのだろうか。
わたしは恐ろしいと感じるまで理解することができないで、恐ろしいことがわからないおそろしさに嘆いているところである。
ロッカーの百円もどる秋の海
歳増へぬ父の見下ろす梨ふたつ
漕戸 もり
