かりんの歌人神谷朋子さんの第一歌集の批評会。
いろいろな評があって、それらの評を聞くほどに歌は膨らんでゆくようでもあり、めりめりとまさにもうひとかわ脱げてゆくようでもある。
歌人のなかには、詠む(作歌)にも増して読む(評論)方に長けているひとも多くいらっしゃるので、そういう人の評を聞けば、急に光り輝いて見えてくるような歌もあるのだから短歌は奥が深い。
 
何故かでも、この閉塞感はなんだろう。
休憩を挟んで後半は、作家が作家を褒める、いかに見事に褒め称えられるかに終始され、聞いていて少しばかりしんどかった。
出版の〈お祝い〉だから仕方がない、といえば身も蓋もないけれど。
尤も、これはわたしの未熟さがそう思わせていることも承知しているので許してください。
 
短歌の読者もまた短歌を詠むひとであることが大半である短歌界。
そもそも小説は小説家以外のひとが読むことが多いように、歌集は歌人以外のひとが多く手に取るもの、ということが当たり前になるまでには程遠い。
それまでは、歌人による歌人のための、という密度の濃い世界のなかで、煮込めば煮込むほど味が染みて旨くはなるが、元々わたしはなんだったのかということがないようにとおもう。
程遠い?
いや、おそらく永遠。
 
 
いつもいつもうちがはばかり濡れてゐて心は他人にさらしてをるが
神谷朋子 第一歌集「月ふとりゆく」(本阿弥書店)より
 
歌集出版おめでとうございます。
 
 
わたしが歌集や句集を出せるのはいつのことやら。