舞台の脇にどど~んと生花。
この数時間後には、小分けに包まれ多くのお客様のお手元へいくはずの花たち。
尾張名古屋では、お祝いの花を~開店祝いでも祝賀の席でも~訪れた方々へ持ち帰っていただくとことが、しあわせのお裾分けになるという意味合いがある。

だから主催者は、後に花瓶やオアシスがもぬけの殻なのをみると、寂しいというよりむしろありがたいという気もちになるものだ。

 

これは名古屋にある至極あたりまえの<セレモニー>。

ただ、いくら名古屋の伝統的風習とはいえ、開店祝いのケースになると、贈る側のひとたちは、訪れていただいたお客様に花を引き抜かれていかないように、胡蝶蘭などの鉢物をお祝いに贈ることが多くなっているらしい。鉢物が似合わないパチンコ店などで、造花の装花が店頭に並んでいるのを、年がら年中みかけるけれど、こちらはにぎやかしのために置かれているのだろうとおもいきや、実は名古屋人のこんな風習が背景にあるのだった。

 

花を包んで渡してくれるならまだしも、ときに勝手に抜いたり持ち帰る。

あさましい?

更に言うと見苦しい?

うう…。

花たちが方々へ散らばり、いろいろな環境でもうすこし花を咲かせ、たくさんのひとたちの心を満たしてくれていることを想像すると、それはやっぱり悪習ではないのかな、って感じてしまう。

悪しき習慣ではないと感じている時点で、アウトかもしれない。

名古屋的花問題。

以上、名古屋の現場からお伝えいたしました。

 

 

 ドトールで充電を終へハクモクレン   漕戸 もり