夏の短歌塾。
 
講師は未来短歌会の大辻隆弘さん。
大辻さんの評は、やさしく鋭くそれでいてわかりやすい。
氏のご紹介文が載ったプリントに、〈なぜ短歌を始めたか〉の項目があり、関連するワードとして俳句とジャズというのが混じっていたのが気になって、もし時間があれば聞こうと思っていたのだけど、時間切れで質疑応答の時間が割愛されてしまって叶わなかった。
俳句とジャズかぁ。
それはどういう道のりだったのだろう。
 
「岡井さんがわかるかわからないかが自身の作歌の基準となっている」という大辻さんの言葉は、師を持たないわたしにとって眩しく果てない希望みたいだ。
それでも、目指すのは万人ではなくたったひとりのたしかなひとであるということは、もしかしたらわたしにも定められるかもしれない。
だとしたらそれは誰なんだろう、とそれからずっと考えているのだった。
 
 
遅夏に白馬の読みをあをと知る  漕戸 もり
 
ふむふむ。
世の中にはまだまだ知らないことがあふれている。
 
追記
 
夏の短歌塾に提出した歌はこちら↓
 
ひとりよりふたりの夏は了はりやすいグラスに二本のストローを挿して
漕戸 もり
 
実際のところひとつの飲み物を二本のストローで分けあった経験はない。
けれど、夏にはふたりでいることの暑苦しさや愛情が消耗した記憶が多い。
そんな既視感を詠んでみた。
グラスに入ったサングリアはふたりで飲むとあっという間になくなって、
二本のストローが吸う水滴のコロコロという音が終わりを予感させる。
でも。
伝わっていなければ歌は自己満足でしかない。