はじめてのコロナ禍はとにかく読書三昧だったので、今ふりかえってみると、お金はないけれど贅沢な日々を過ごしていたのかも、と思わないでもない。こんなのん気なことが言えるのも、コロナに罹患したけど大事に至らなかったからだ。まあ、今もまだコロナ禍ではあるのだろうけど。
書籍を読み漁ることは仕事のためでもある。会話を導いたり同意したりお相手の気持ちを慮ったり、これは銀座や錦三の人気クラブのホステスさんと何ら変わりない。なんなら、無いなりに知識や美にいそしむとき、イメージの中の売れっ子ホステスさんをいつも頭の片隅に意識していると言っても過言ではない。あ、すみません。これは人間関係に金銭が絡むときだけなので、どうぞ誤解のないように。(ふだんのわたしは極力馬鹿でいたいし、なんなら嫌われるくらいが心地よいし、お金もいただいていないのに声も張りたくないし、好きや嫌いをはっきり言いたいし、ぐいぐい飲みたいし、げらげら笑いたいし、方向音痴全開でいたいし、ずっと怒っていたいし、つくづく出鱈目なので)
 
やさしい猫  中島京子 著
 
これは出版されて話題になっていたので即買いした小説。
初中島京子作品でもあった。
たまたまなのか、どの街でもそうなのか断定はできないけれど、わたしがよく利用するいくつかのコンビニエンスストアのどこへ行っても、店員さんが外国人、それもほとんどが英語が通じない国の方が多く、尚且つそこらの日本人よりも優秀で手際が良く日本語も巧いので、彼らはわたしの生活になくてはならない存在になっている。それにもかかわらず、彼らはわたしの生活は知っていたとしてもわたしは彼らの生活をまったく知らないということがずっと引っかかっていた。
顔見知りになった何人かは、留学だったり技能実習のような?だったりと学生さんのことが多いのだけど、なにやらお尋ねしたらいけない雰囲気の方もいたりして、自分でも言い表せないような複雑な気もちになっていたのだった。いやいやいやいや、名古屋人としては不名誉な、ウィシュマさんが死亡された事件が名古屋出入国在留管理局で起きたのも、もやもやが加速する要因じゃなかったか。
書いておかなければ!
忘れないように!
こういういろいろが重なっての小説「やさしい猫」。
内容は手に取って是非ご覧いただくとして、感想だけさらっと言うと、とてもわかりにくい法律や制度を教えてやる、というのではなく、読み終われば温かな気もちになって、それでいて懺悔の気もちにもなって、なにか始めなければいけないという気もちになって、気づけば難解なことがらも自然に教えられていたという魔法のような小説だった。
 
あれから2年。
小説がドラマになったことを知った。
ドラマは小説よりすこし甘かった。
でもその甘さが、知識の間口を広くしてくれているような<やさしい>だった。
知らなくていいことが多い世界だけど、人として知っておかなければならないこともおなじくらいたくさんある。
 
 優香とふ甘やかな名のひとの光低く香辛料を合わせる
               漕戸 もり
 
 ※光…カゲ
 
ミユキさん役が優香さんだったことに救われた。
とくに重いテーマの物語だったりすると、俳優は演技よりも以前に適役かどうかが重要である。