ネットの情報が早いしなんでも流れてくるので、今や新聞はよっぽど余裕がないかぎり拾い読みか、さもなくば届いたままの状態でわが家の古紙コーナーに溜まってゆく。値上げしたらもう購読はできないかもしれないなぁと夏の暑さにぼんやりおもう。
次々埃が出続けているビックモーター事件の復習をするように読んでいると、こんな記事をみつけた。
国産名車人気再燃
頭が空っぽだった若かりし頃、スープラやフェアレディZを乗り回していた。
だれにでも触れてほしくない黒歴史があるものである。
中古のスープラが667万円だそうだ。
駅近の中古マンションのような優良物件。
もう一度乗ってみたい気がするけれど、好きになってしまうと困るので実際に乗ることはないだろう。好きになってしまうというくらいなので、今は好きではない、正しくは好きだ嫌いだとかんがえないようにしているのが、黒歴史所以である。
国産名車のなかで、昔も今も正々堂々好きだと言えるのは1988年式モデルのトヨタマークⅡバンだ。当時の恋人が乗っていた。ふたりでいいねいいねと言いあって彼が買ったのだった。
縦にやたら長く、燃費もあまり良くなかったけど、なんでもかんでもをうしろに載せてどこへでも行った。なんでもかんでものなかには実体のないようなもの~夢や希望や永遠らしきもの~もふくまれていて、むしろ実体のないようなもののほうが重すぎたせいで、結局離れてしまった。
恋人だったひとは、前述のスープラみたいに黒歴史というのではなく、わたしを成長させてくれた素晴らしい歴史にいるけれど、思いは今のスープラに寄せる気持ちとおなじだ。
繰り返しになるが…
もう一度乗ってみたい気がするけれど、好きになってしまうと困るので実際に乗ることはないだろう。好きになってしまう、というくらいなので、今は好きではない、正しくは好きだ嫌いだとおもわないようにしている
…というような。
けれど、あのマークⅡに関してはなぜかそうならない。
それだけたいせつにしたい記憶。
助手席からみていた横顔とともに。
両手から逃るるもののきらめいて噴水のつぶたとへば頬へ 漕戸 もり
