たまには本業についてのおはなし。
※本業は本業の氏名がありますが、いろいろ言いたいことが言えなくなるので伏せています。
社会人に向けての朗読講座を時々頼まれる。
企業であったり、青年会議所(いわゆるJCですね)の支部会みたいなものだったり、地方の新聞配達店のイベントだったり、保育園幼稚園の先生向けであったり、意外なところで言うと、某パチンコ店の従業員様向けのアナウンス練習の一環ということもあった。このパチンコ店のオーナーさんは経営に長けていらして、一般的なパチンコ店のアナウンス…大音量、なにを言っているかわからないがいい、ラッキーがどうのご幸運どうの、じゃんじゃんばんばんのオノマトペ連呼、文章にすると敬語も丁寧語も謙譲語も支離滅裂な(最初はあれでも台本めいたものがあるのだが、やっているうちに各人のオリジナルになってゆく)…イメージを、変えたいという思いをお持ちのようだった。そのチャレンジのなかのひとつが朗読だったように記憶する。
他にもいろいろあるけれど、総じて朗読というものは、性差年齢学歴職業にあまり影響されず、ちょっくらやってみる?と言われて、猛烈に拒否反応を起こしにくい柔らかい<文学のいりぐち>のような気がする。
講師として、最初にするのが教材選び。
ここではじめて、対象者はだれかということが重要になってくる。
図書館の本は、予約待ちだったり、借りる期間が決められているのでこの場合相応しくない。
となると、蔵書から選ぶか、Amazon購入の二択に絞られる。
美しい日本語に触れることを企画して、川端康成の本を取り上げたのはいいけれど、対象者が高齢者様だったので、A3に拡大コピーをした結果、数ページしかご用意ができず、国語の授業みたいになってしまったこともあった。
それでも、この教材選びがうまくいけば、この仕事は9割がた成功といってもいいくらい大切な作業なので、気合が入る。
一方の参加者は、もう既に朗読をするつもりでそこに座っている、ということだけで9割がた朗読をしたようなものだ。たいせつなのは、残りの1割の部分に、読んでたのしい、声に出して読んだら改めて内容に感動した、というおもいをのせて帰ること。これは朗読の伴走者としてのわたしの仕事になるけれど。
 
 
いい本に出会った。
分量もいい。
絵だけ見ていても飽きない。
言葉の使いかたがやさしく、それでいてとてつもないことを述べている。
余計な感情が含まれていない、というのがありがたい。
9割は成功。
参加者のみなさま、どうぞたのしみにお待ちください。
 
 

   膝小僧剥きだしにして蟻を追ふ    漕戸 もり

 

膝小僧は少年だけのものじゃない。

少女だってりっぱな膝小僧を持つのです。