お祝いの席でお酒が配られた。
350mlほどの小瓶で、お酒の召し上がらないかたにも、ご自宅で飲酒以外にご利用いただけるような配慮は気が利いている。
振る舞うというのは、特にお祝いの席ではとてもたいせつにされている行為で、しあわせをお裾分けすればするだけ、しあわせは返ってくるとおもわれている。
日本特有の<マナー>なのかどうかよくわからないけど、お祝いのシーンでけち臭いことを言っているひとを滅多にみかけないし、いたとしてもそういうひとを、どことなく幸の度合いが薄いようにかんじるものだ。
東海地方には、これぞ<しあわせの振り撒き散らかし>というような、菓子撒きという風習もある。
友人が嫁入りのとき、自宅のベランダや屋根から菓子を撒くというので、早朝から出かけたことがある。
既にご近所さんが友人の家を取り囲み、傘を逆さに開き菓子をたくさん受けられるように準備したり、大きな風呂敷を広げたり、なんか違う気がしないでもないけれど名古屋市指定の45Lのゴミ袋を持参しているひともいた。
菓子は金襴緞子の帯を締めた花嫁本人はもちろんのこと、家族総出が頭上からばら撒くので、わたしは写真を撮りたいやら菓子は欲しいやらで、汗だくになった記憶だけ鮮明に残っている。
なにも、駄菓子好きが集まるのではない。
菓子を受け取った分だけしあわせになれるという、受け取る側にもちゃんと<マナー>があるのだった。
これは、おとしまえつける、にどことなく感情が似ている。
別に無礼でもなんでもない、むしろおめでたい話なのだけど、
受け取ってあげましょう。しあわせになってもらいたいし、わたしだってあやかりたいし、ここはウインウインで、というような。
ひととおり菓子が撒きおわると、花嫁はそさくさと式場に向かう準備をはじめ、忙しい家族に代わってお手伝いのひとが、庭に出てあとかたづけをするので、なんとなくわたしたちも受け取った菓子の成果を口々に満足感のなか家路に、または式場に急いでゆく。
全員が我こそがおとしまえをつけてやった、という顔つきで。
それはプライドなのだろう。
わたしは決して甘党ではないんですよ、とみんなの背中が言っているようだった。
話しは逸れたが、ふるまい酒である。
樽酒なので木の香りが旨い。
できるだけ早くお召し上がりください、という但し書きにも特別感が漂う。
帰宅してきりっと冷やし、翌日にちろちろといただく。
きっと、下戸のかたもちろちろとお料理にでもふくませているのだろう。
そのたびに、おめでとうという気もちは波動となって、振る舞ってくださったひとびとに届く。
こう書くと、なんだか宗教めいてみえるけれど、わたしのような無宗教者でもそう信じたい風習のひとつ。
つぎは、きっと振る舞うほうに。
満ちてゐるたましひのとき太腿をふんはり覆ふバルンスカート
漕戸 もり
夏の太腿注意報発令中。
