父の法要で東別院へ。
すこしはやく着いたので、ひとり境内を散策する。
この日は、屋台もマルシェも出ていなかったので、
大木の葉が風に擦れる微かな音が、さらさらさらさら、と
文字どおりに聴こえてくる。
だだっぴろい敷地の隅のほうで、寺院に隣接した幼稚園の子どもたちと先生が、
くっついたり離れたりゆれたりしていて、そこだけ明るんでいた。
広ければいい、やさしければいい、自由ならいい、
そうわけではなさそうなすべてが、隅っこに集まっているようだった。
父の骨は本堂の真下に納められている。
逝去して8年。
父より5つ若い母だけど、いつのまにか父の亡くなった年齢を超え、
自身より年下の亡父に、母が神妙に手を合わせている姿をみていると、
父はこの、老いた母のことを知らないのだなぁ、などとしんみりしてしまった。
法要のたびに母は、
お父さんの骨は、お志(要するに費用のこと)の安い境内西側の納骨堂ではなく、
高いお志を払って預骨する本堂に納めてあるから、と
すこしばかり奮発したことを誇らしげに言う。
わたしはそれを聞くと、毎回ひっそり西側の納骨堂にも目をやって、
心のなかで手を合わせる。
母に悪気はないことは、仏様はちゃんとわかっている。
けれど、お骨になってもこんなふうに、
優劣のようなものがあるということをおもうと、
納骨も法要も、まるで生きているひとのためなのだった。
母は今年も、
お父さんの骨はこの(本堂)の下に納められている、と言って
目のまえの阿弥陀如来像を見上げていた。
阿弥陀様の足もとに父が座っていて、
あなたの骨はねと、父本人にも骨のことを教えているようにもみえた。
骨はもう父のものではなく、母のものなのだ。
そのことを確認するような法要もわるくはない。
お父さん、これからもよろしくお願いします。
いつもありがとう。
なんとなく謝つてから木漏れ日をひとりじめしてそののち返す
漕戸 もり
広末さんのラブレター。
広末さんに限らず、生活はドラマよりドラマっぽいときがある。
言わないだけで。
