ロケ弁については、以前も熱弁(決して駄洒落ではない)
した記憶があるので詳細は省くが、
朝食は7時、昼食は12時、夕食は18時、みたいな、
聖人君主でもない限りそんな時間無理っしょ、という
刷り込まれた時間にむりやり食事をするよりも、
ひと仕事終えて、足を押し込んでいたハイヒールをそのへんに脱ぎ捨て、
関係者各位互いをねぎらいながらいただく、15時の朝食や20時の昼食が好きである。
本日は14時の昼食。
11時~13時の拘束からはずれていただくお弁当は、
冷えていようがいまいが格別なものだ。
添えてあったご当地のペットボトルのお水も、特別な心地がして良い。
この日は、態勢を崩すと埃が舞うようなスペースで、
そのうえひとりでの食事だったので(どんな場所かよと突っ込みたくなりますが)
ハイヒールをそのへんに、というわけにはいかず、ちんまり座って
なるべく動かぬように、もくもくといただいたのだけど、
ちょうど目のまえに姿見があったので、
たべているじぶんと目が合うわけだ、顔をあげたときや、お水を飲むときなどに。
我ながら、
無心で食事をしている顔というのはなんと不気味なものかと、
変なふうに感心してしまった。
なんかこう、ぜんぜんうれしそうじゃない。
どちらかといえば、苦行を強いられているような顔とでもいうか、
眉間に皺をよせ、哲学的なことをかんがえながらたべものを口へ運んでいる、
というような神妙な表情なのだった。
でもどうなんだろう、
だからといって、ひとりにこやかに食すというのもおかしなものだ。
寿司屋のカウンターや赤ちょうちんで、いやいやもっと身近なところだと、
スタバや吉野家でもいい、おひとりで食事やお茶を楽しんでいらっしゃる
老若男女をふつうにみかけるけれど、苦行をされているような顔つきのかたは、
よっぽどのご事情がある場合を除けば、お目にかかったためしがない。
これでも、毎日のほとんどの食事をひとりでしている、
いわゆる<ひとり飯のプロ>だけど、ひゃあ、まいったな。
別に、ありがたいという心境を、
表情に浮かび上がらせながら食事をするという、
曲芸めいたものを身につけたいわけではない。
せめて、飲食する際、神妙にみえないようにしたいだけなのだ。
一体全体、なにをどうしたら、
<ひとりですが、平常心でいただいていますよ>というような面持ちで、
飲食できるのだろうか。
こんなに生きてもまだ、新たなる疑問が湧いてくる。
くだらないことのようで、わりと重要なにかが潜んでいるかもしれない。
それにしてもあの姿見、
これまでにも、いろいろなひとの醜態を映し出してきたのだろう。
なかなかいい仕事をしているとおもう。
参った。
おみそれいたしました。
黄昏に本格的なついり来し 漕戸 もり
