いちばん安い機種のアンドロイドで撮影したある日の夜空。
当夜は天候にも恵まれ、
実際には写真よりはるかに鮮明で美しく大きくみえていたのに、
まるで壊れかけの観覧車みたいになってしまった。
熱田まつりの花火である。
四方八方の花火がみえる場所に住んでいるので(景色のための賃貸料である)、
特に夏はベランダに椅子を持ち出し、
ちびちび呑みながら、遠くの花火をぼんやり眺めるのも風情がある。
8月の御盆のころには、長島スパーランドの花火が毎日みられるので、
いよいよ夏もおわりだなあ、などと感傷的になるのもしあわせな習慣である。
 
壊れかけの観覧車だが、写真をご覧になっておわかりのように、
いくら携帯のカメラ機能が優れていようと、
どうしても立ちふさがる一棟のビルを取り除くことはできない。
風向きによって花火は、ビルの右側にばっちりみえる年もあれば、
今年のように無風の場合はビルの真上にみえるときもある。
風がないと花火のかたちが歪まないから、
近くからみると絶景であるに違いないのだけど、区を跨いで
遠景としてみるときには、つい風が吹くことを願ってしまうものだ。
風よ吹け、くらいならまだいいが次第にビルに、どいて、とまで頼みかける。
どいて、ならかわいい。
本音を言えば、そこ邪魔、とはっきりおもっている。
なんなら声に出して言っている。
けれど、馬鹿らしいことに根が生真面目なので、言ってから、
いやいやあのビルにも多くのひとが住んだり働いているのだと、
自分勝手に反省したりするものだから、
昨日の花火はどことなくすっきりしない鑑賞となってしまった。
よくかんがえてみると、
そこ邪魔、と遠慮なく言えるのは実は家人しかいないのだ。
これは貴重でありがたいことなのだろう。
お互いさまではあるけれど、
言われると腹が立つが、翌日にはきれいさっぱり忘れている。
貴重ではあるがどことなく残念な間柄である。
 
 
 ぼんやりと本心として佇んでいつしよにそよぐ夏木立かな
               漕戸 もり