めきめき、とか、ぐんぐん、とか、
おなじオノマトペでも擬態語は擬音語と違って、
状態や様子を音で表したらたとえばこんなかんじ、という
わりとイメージに近い表現なのだけど、それを言ったり書くときは
めきめき風(ふう)の音だったり、ぐんぐん風の音を
なんとなくだけど実感しているものだ。
じゃあ実際どんな音なのかと、身近なあれこれを叩いたり折ったり切ったり
いろいろ試してみるけれど、どれも実感している音には程遠く、
また実際に聞いたこともないから、これらの音は永遠に実感のままなのだけど、
恐らく、わたしとあなたがかんじるめきめきやぐんぐんの<音>は
ほぼ同じなのだろう。
これは、安心して理解しあえるというオノマトペの長所であり、
逆に言えば、それ単体では詩になりにくいという短所でもある。
 
実力派が揃う東桜歌会。
ここでわたしは毎回、
めきめき
ぐんぐん
と、じぶんが音を立てるのをかんじる。
もちろんわたしの音でもあるのだが、ときどき、四方八方から
めきめきとかぐんぐんという音の気配をかんじることがある。
尊敬してやまない歌人たちが、
未だにそんな音をさせているのは、しびれるとしか言いようがない。
この気もちをオノマトペで表すとすれば、ひりひり、だろうか。
ひりひり感じながら、これはうかうかしてられない、と
よろよろついてゆくうちに、ミクロの単位ではあれじぶん自身の
めきめきやらぐんぐんやらをかんじられるようになってきたのだった。
志が高い歌人たちが身近にいてくれるということは、
ほんとうにありがたいことだとおもう。
 
 
   しよつぱなにたくさんの梅雨蓄へて産まないきみがろくぐわつになる
                      漕戸 もり
 
 
梅雨ってこんなに激しいものだった?
炎みたい。
避難なさっているかた、くれぐれも安全に。