食事にこだわりがない。
ご馳走しがいのない奴だとおもわれても、そうなのだからしょうがない。
けれど、食べものも飲みものも、いただくときの温度にはうるさいほうだとおもう。
面白みもないけれど尚且つ面倒くさいのだから、たちが悪いこのうえない。
ここだけのはなしにしておいてください。
たとえば、ビールや白湯である。
夏でも冬でも、
きんきんに冷えたビールを喉に流し込むそのひとくちのために
存在するような1日が、幾度あったことだろう。
若かりし頃、中国に研修旅行にいった際、
いよいよ念願の青島ビールをいただける、という瞬間に、
しれっと常温の瓶で青島ビールが登場したときの落胆といったら、
いくら、此処では常温で飲むのですよ、と言われたとしても、
頑なに首を縦にはふれないのだった。
そのおかげか、上海蟹の味噌の旨さなど帳消しになってしまった。
白湯も白湯なりの適温というものがある。
口にふくむとき、すこしでも熱を持つものは、わたしのなかでは白湯と呼ばない。
電子ケトルに水を入れ、スイッチを入れてから離れずに暫く待つと
ぷつぷつと音をたてはじめるから、そこでスイッチをあげる。
ぬるま湯よりも常温に近いが、常温では体を通るときまだ違和感がのこる。
タブレット錠の薬をすっと飲める、というくらいのあたたかさが白湯の理想である。
口中の温度よりも高い、くちびるよりももう少し高い、
(そういえばくちびるって案外冷たいですね)
やさしさの温度だ。
このやさしさみたいなものが、するっとからだに浸透してゆくのをかんじるとき、
状況はちがえども幸福度は、冷えたビールを飲むときとまったくおなじである。
この日はビールをいただく。
きんきんに冷えていた。
こういう場合、料理の温度もたいてい適切なことが多い。
冷えたもの、温かいもの、熱々のもの。
自然とメニューは同伴者におまかせとなる。
はふはふ、とか、歯に沁みるぅ(冷たくて)、とか言いながら
旨い酒と大袈裟にならない程度の恋心と良き友と、
それだけあれば満足なのである。
安上がりなのか逆なのか、
こうやって書き連ねてみると、なんだか贅沢なこだわりにおもえてきた。
温度、譲れません。
汗を掻く黒ラベルへと★涼し 漕戸 もり
