若かりし頃、熱心に観ていた歌番組「ザ・ベストテン」で、

ベストテンに入っているのにテレビに出演しない歌手(アーチスト)のことを、

理由はそれぞれあるとしても、<かっこいい>と感じていた。

あのかっこよさは、いったいなんだったのだろう。

特に、出演拒否の歌手がいる回は、出演している歌手たちがどうしても間抜けにみえる。

人気投票で音楽をランクづけすることへの抵抗や、テレビという媒体への不信感など、

テレビに出演していた側の歌手にも、おなじような考えの者はいたとおもうが、

ビジネスとして割り切っていたり、逆にテレビという媒体を利用する、

という意志が漲っていたような印象だった。

田原俊彦や沢田研二などは、1位以外の順位になった記憶がない。

それは番組の演出のせいでもあるけれど、としちゃんやジュリーの

貫禄や気配や佇まいは、<一等賞以外のわたし>を認めたがらないようにもみえた。

ベストテンにランクインされる曲は、もちろん素晴らしい作品であることは前提として、

「ベストテン」で1位になるための曲づくりをされていた、

つまり番組の傾向と対策を、よく練って仕上げていたといえる。

そういう意味で「ザ・ベストテン」は、歌手のモチベーションやスキルを向上させる

潤滑油のような役目を十分果たした。

けれど、なぜかあのころのことを回想するのはとても恥ずかしい。

ものごとにはいわゆる<大人の事情>というものが存在するということを、

はじめて教えてくれたのが、あの名番組だったのかもしれない。

 

短歌研究短の5月・6月合併号の特集は「300歌人の新作作品集」。

300人の歌人は、ベストテンのように順位をつけられない。

なぜならこの場合、300人が1位である。

それ以下は、301番目でも1億番目でも相違ない。

ただし、このなかには歌人版中島みゆきや矢沢永吉

(えーちゃんですら、当時はテレビに出ない宣言をしていた)が存在する。

それでまたその300人圏外歌人をどうしようもなく、

〈かっこいい〉などと感じてしまうのだった。

トシちゃんが、今週の1位になってキラッキラの衣装で登場し、くるりんとポーズをとるのと、

選ばれた300人圏内のなかにいて、

「わたしの歌、載っていますの。是非見てくださいませませね」などと言うのと

あまりに似ているもんだから、そのたびトイレに立ったり、頁を飛ばすのは仕方ない。

所詮、301番目以降の戯言なので、どうぞお気になさらず。

 

合併号にはこのほかに、

 

四月号特集内アンケート「短歌の場でのハラスメントを考える」について
反ハラスメント宣言

 

という特集記事もあるようだ。

300人の短歌競演という特集号に、これまで深刻にディスカッションされてきた

ハラスメントの記事がさらりと組まれている。

ハラスメントは根絶しなければいけない、とみなわかっている。

わかっていて、どちらかというとリベラルです、という歌人ほど実は

このようななまぐさいお話は、せめて別の号でやって欲しい、と

思っていたりいなかったり。

まあまあ。

たとえそうだとしても、

所詮、301番目以降の戯言なので、どうぞお気になさらず。

※今回2度目の登場

 

小説雑誌は小説家以外の購読者が圧倒的に多いのに、

短歌や俳句雑誌の購読者は、自ら短歌や俳句に嗜みがあることが殆どらしい。

この300人圏の内と外というあからさまな構造を、嗜みがある側から垣間見たとき、

あの出演辞退をした歌手たちを<かっこいい>と感じた記憶が、

するすると蘇ってきた。

大人の事情だったのに、自分が大人になったことで、そんなもんよと白けていることは

案外不幸なことだなあ、とおもっているところである。

所詮、301番目以降の戯言なので、どうぞお気になさらず。

今回3度登場させてみたこの強がり。

実はここが最大の本日のキーワード。

こんなことでは<かっこいい>から離れるばかりのゴギートーモリである。

 

      研究の途中に勿忘草見ゆ   漕戸 もり