先週お手伝いさせていただいていた市会議員候補者様は、無事に当選。

まずはひと安心。

先生。

公約はもとより、市民のみなさまにいつも寄り添ってくださるよう、

伏して伏してのお願いをいたします。

※街宣カーウグイス風に

 

それにしても、改めて考えると<伏してのお願い>って、

いかにもインチキくさいというか、そもそも口語として成立するのかもあやしい。

街宣カーには、ある程度の台本めいたものが備えられていて、

どなたが乗車しても、アナウンスできるようになっているのだけど、

たとえ一週間とはいえ、そのような定型文をアナウンスしつづけていれば、

各人の言い回しかたや癖やアドリブなどが際立ってくるので、

よく聞いていると、それぞれに<味わい>がかんじられるようになる。

ウグイスはひとりで乗車することもあるが、ペアで車に乗り込み

10分~15分で交代をしながらのパターンが多い。

その休んでいる10分足らずのあいだ、となりのウグイスのアナウンスを聞きながら、

飲みもので喉を湿らせたり、飴を舐めたりして

<ほほう、そういう方向から攻めるのね>とか、

<そこはなるほど、絶叫するのね>とか、非常に冷静に聞き耳を立てている。

もちろん顔は笑顔で、手は降りながらだけど。

そのうち3日もすれば、なんとなく<節>みたいなものにウグイスの統一感が出てきて、

毎日畑など耕している住民のなかには、候補者が街宣カーに乗車していなくても、

遠くから徐々に近づく街宣カーのウグイスの節回しから目星をつけ、

ああ、あれはA候補者の車だ、とかB候補者の車が通っていった、とか

ぴたりと言い当てる御仁もいるらしい。

わたしがお手伝いをしていた候補者陣営には、ウグイスのスペシャリストが数人おり、

それはそれは見事に達人なのだが、となりで飴玉などを舐めながら聞き入っていると

見ず知らずのひとにお願いごとをするというのは、

つくづく骨の折れることとおもうのだった。

 

それにしても、先週は黄砂が酷かった。

コロナという大義名分があるおかげで、堂々とマスクをしていられたからよかったものの、

そうでなければ喉は確実にやられていた。

実際、喉から血を出したウグイス嬢もいたらしい。

すべてを黄砂のせいにするつもりはないけれど、

窓をぴしゃりと閉じた春の家々を過ぎるとき、

せめて選挙の日が近いことや、是非投票にいっていただきたい、という願いは、

ほのかに伝わっていて欲しかった。

思いは虚しく、投票率は先の選挙とおなじく芳しくない結果となった。

候補者が当選し安心してはいるものの、なんだか心がすっきりしないのは、

こんなところにも原因がある。

 

海も山もある恵まれた町にも廃墟が隣在していて、

かとおもえば、映画に出てきそうなスタイリッシュで要塞のような家が

いきなり建っていたり。

今回当選された議員さんたちが試されることはあまりにも多い。

おいらは投票していないから、といってもしらんぷりなどできないのだ。

有権者と言うとき、そこにわたしも含まれることを

いつも意識していようとおもう。

 

サクラサク。

税金のつかいかたは計画的に。

 

    筍のこぼれてもこぼれても抱く    漕戸 もり

 

 

みっちゃん。

筍、ありがとうございました。