古い人間と言われようがカフェはドトール派である。
今や常識ではあるけど、充電ができるのはもちろん、
テーブルや椅子の配置具合が、数人のお客連れというよりも
ひとりのお客向けに考えられているような気がするからだ。
実際はどうなのだろう。
もしかしてわたしが利用する店舗がそうなだけで、
ファミリー向きのドトールもあるかもしれない。
もしあってもわたしは行かないけど、ドトールが存続するためなら
ファミリーレストランみたいなドトールがあって結構。
なんとか経営のバランスを保っていただきたいものだ。
 
カフェにおけるひとりのお客はどうしても儲からない印象がある。
吉野家やすき家なら、食べたらなんとなく居辛いので出るしかないが、
カフェというのは美味い珈琲を飲みたい、もしくは
喉が渇いてしょうがないというより、一服するという目的で訪れたり、
作業する(ときには自宅代わりのように)ために利用するので、
珈琲一杯では商売が成り立たないのではと心配になってしまう。
だったら珈琲以外に菓子やパンを注文してお店に貢献したらいいのだけど、
そもそもカフェで<外食>という概念がないので、窓の外を見ながら
注文した一杯のブレンドを啜るのだった。
快適には違いない。
ひとりのお客が多いので、喋り声が気になるようなことはないから、
読書も書きものも原稿の整理をするのにもいい。
ひとりで外食するのが未だに苦手というわたしでも、
珈琲一杯でわりと長くいられるのはなんとありがたいことだろう。
 
ところが、手軽なカフェのいちばん人気はスターバックスが常識となっている。
友人や仕事のお相手と待ち合わせをしたり、待ち合わせをしていなくても
わたしか先方かどちらかが早くもしくは遅く着きそうなとき、
待っててと指定されるのは名古屋中どこにいたってスタバだし、
待ってると告げられるのもおなじくスターバックスだ。
スターバックスは…
混んでいる。
隣のひととの距離が近い。
座席に差がありすぎる。(ソファー席に座れたためしがない)
ふつうの珈琲を頼みにくい。
それから、
あらゆる角度から欲望が抑えられなくなるのはご存知のとおりで、
カスタマイズに挑戦したくなる。
菓子やケーキが食べたくなる。
うっかり店員さんを嫁にしたくなる。
いつのまにか一服というカテゴリーから脇に反れて、
TDlの帰りにミッキーマウスのカチューシャをしたまま
意気揚々と名古屋に帰ってくるような高揚感で
スターバックスを出るのだった。
 
ベンティ、というのはイタリアの20を指すこともスターバックスから知った。
嫁にしたいお嬢さんが、精神科医のようにつぎつぎとわたしの要望を深堀し
欲望を満たそうとするので、なすがまま身を任せてみようという気になって
仕上がったのが本日のわたしの飲みものだ。
 
オーツミルクラテのホットをベンティで。
エスプレッソショットの追加でほろ苦くとみせかけて、
チョコレートソースとホイップの追加。
最初嫁は、ちょうど今展開しているスヌーピーコラボの人気商品
チャーリーブラウンカプチーノを
「わたし(嫁である店員)が今一番気に入っているので是非試してみて欲しいのです!」
と客目線できらっきらっと言う。
もしお口に合わなかったら返金します、とは言わないものの
勢いだけでいえばそんなかんじである。
あなた(この場合わたし)のことを愛しすぎて、どうにかして喜んでいただきたい
と言わんばかりのもの言いは、社員教育を受けているからとはいえ
嫁に来て欲しいと願うしかない。
そして、嫁ともう勝手に呼んでいる。
 
イタリアは情熱の国らしい。
情熱は時たまがいい。

永遠のようなベンティを飲みながら

ほっと一息つきながらおもう。

 

 

   春セーター仕様になりたてのうなじ     漕戸 もり