愛知県の一宮市は喫茶店文化が盛んで、
モーニング発祥の地としてご存知の方も多いとおもうけれど、
投票で歌うポジションが決まるようなグループでたとえると、
センターになったというのにいつまでももじもじしているので、
その座を名古屋に奪われたけれど、一向に控えめでおくゆかしいままなので
早々に卒業してしまったが、だからといってピンで活動するというわけでもなく、
人づてに聞けば、今はきっぱり芸能界を引退し一般企業のオーナーになり
堅実に地元で活躍をしている(イメージ)
というような、
ざっくり言うと地味だけど生真面目な雰囲気の街だ。
 
一宮のお世話になっているかたと昼食を済ませ名古屋へ帰る道すがら、
せっかくだから桜並木を通っていきましょう、と言っていただいたので
言われる通り右へ左へ道をおしえていただきながら車を走らせると
大江川緑道にたどり着いた。
その後の予定が立て込んでいて散策をする時間がなかったので、
そろそろと車で走ったり時折停車しながら桜をたのしむ。
一宮では、桜の咲く場所を開花に合わせて<一宮桜まつり>という
それらしき名称で呼ぶらしいけれど、
大江川緑道はどこまでいってもびっくりするくらい静かだ。
人はいないことはないけれど、ここでは桜が主役だということを
みんなわきまえているようにみえる。
「ごめんね、ちょっと撮らせてね」と言っているように
一眼レフのレンズを桜に向けるひと。
手を繋いでなにも話さないでも笑顔で通り過ぎる恋人たち。
子をうしろに乗せた自転車を止め、ペットボトルの水を飲んでから
さくっと桜を見上げふたたび勢いよくペダルを踏んで去ってゆく母。
ここでは桜の花びらの散る音が、耳を澄まさないでも聴こえてくる。
ときどきおしゃべりをしながら桜の下を歩くおばさまたちがいるけれど、
桜に遠慮しているのか、その声はミルクボーロみたいにつぎつぎとくずれて
言葉というと言い過ぎなくらい形を持たない。
木曽川堤や浅井山公園も案内したいけれど、という
ありがたい厚意を泣く泣く時間の都合でお断りして名古屋に帰ってきた。
 
名古屋にも桜の名所はたくさんある。
我が家を視点にすると鶴舞公園や山崎川は散策コースだ。
桜は美しい。
いずれも美しいけれど、
桜よりもそこに訪れる人のほうが肝のような桜の名所となってしまった。
それではなんだか桜も疲れはしないかと心配になる。
 
桜の季節なのだから桜が主役であるように、と慮っているような一宮の人々は、
モーニング発祥地を名古屋だと勘違いされようと、そんなことは意に介さずに、
卵もサラダも小倉餡も更におにぎりまでつけたモーニングをつくりつづけている。
そういう大人の領分みたいなものはこれから注目されてゆくのかもしれない。
というより、
わたしがそういうことに気づきやすい年齢になってきたのだろう。
いいような悪いような面倒なような、ちょっと面倒。
 
 
 
      水へ溶く光に湿る花筏    漕戸 もり