特に新刊の場合、
図書館で予約して一向に回ってこない順番をじっと待つより、
ポイントなどを駆使してすこしお値打ちに購入し、
一読後高値が付くうちに古本店で買い取ってもらうことが多い。
要するに、
本の購入額−本を売った額=読書代金
という図式にあてはまるとすれば、経験したことはないけれど
貸本屋で本を借りて読むような感覚に近いのではないかとおもう。
もし売ってしまってまた読みたくなったら、同じ本の今度は古本を買う。
それでいいし、それがいい。
また買えばいい、という気もちが根底にあるからか、
我が家には同じ本が何冊もある。
加齢のせいか、それに気づくのが読書中の
ものがたりの佳境に入ってからのことも少なくないから、
そのことにおおらかである。
※そういえば先日も家人が、「この文庫って家にある?」と聞いてきた。
あるけどなにか?と尋ねると、やっぱり、と家人。
登場人物や物語に既視感があるのだが、忘れていることも多くあり
ぐいぐいとひきこまれて最後まで読んだあと、念のため確認をしてきたらしい。
文庫は伊坂幸太郎さんの某名著。
物忘れというのは、不経済ではあるけれどこういう間抜けさにおいては、
どことなく平和でしあわせにみえる。
「安倍晋三回顧録」をネットで購入した。
母から買って欲しいと頼まれたのだ。
傘寿の母である。
中国経済だの元ウクライナ大使の記した本だの、
左や右や思想に関わらず、政治や哲学や、はたまた野草の図鑑まで、
実家に行くと、近頃の母の関心ごとがわかる。
そして安倍晋三である。
なんでもこの本、版を重ねているらしい。
読者層はわからないが、案外母のような、
現役を引退したあとの引退しっぱなしが長くつづくなかで、
どこかくすぶっているものを持つようなひとたちに
読まれているのかもしれない。
昨年末に発売されて話題になった松井久子さん著「最後のひと」も、
あれは恋愛への傾きではあったが、対象はなにであれ
くすぶっている、というなんともいいようのない
やりきれなさのようなものに焚きつけられながら、
背筋をちゃんとしようとするような層の多くが
手を伸ばしたに違いない。
ちなみに。
わたしは、前述の「最後のひと」は読んだけれど、
元総理大臣の回顧録については読む予定はない。
半ば引退をしているような恋愛感情を、奮い立たせたいとはおもっても
政治についてはまだまだ生活と直結しすぎていて、
わざわざたいせつな読書の時間まで、考えをめぐらしたくない。
現役と引退を、社会的立場以外で線引きをするのはむつかしい。
けれど、たかが手に取る本一冊だとしても
なんとなく承知してしまう、露わになりやすいものなのかもしれない。
真向ひで笑顔がすきと言ふひとへ苦笑でかへす顔でよければ
漕戸 もり
ときどき、
ドラマの登場人物しか言いいそうにないことを、
日常生活で言うひとと会う。
なんだこの違和感は。
