今日も酔っぱらったのでここはどこかわからない。
テレビでWBCがかかっていて、お店の店員さんの殆どは
外国のかたで、テレビが気になっているのは日本人のお客だけだという
なんともたとえようのないパラレルワールドだった。
このように、手元に土手煮のきれいな写真が残っているので
(それに地下鉄でふつうに帰宅している)、
意識も会話も身だしなみもくずれているようにはおもえない。
、というのがわたしの酔っ払いかただ。
もう一度ここへ行けと言われても行くことはできないし、
土手煮の写真は撮ったのだろうけど、食べた記憶はない。
ああそういえば。
最初は満席だったので、この土手煮鍋が目の前にある
カウンターに座ったのだけど、
途中で奥のテーブル席が空いたので移動したのだった。
それぞれがそれぞれのグラスを持ってちゃんと移動したのだ。
それ以降も、なにを食べたのかおぼえがないけれど、
店内は活気があって、コロナ禍なんてあったのかどうか
言うのもはばかられるような騒々しさだった、というのはおぼえている。
もういい加減はんなりと、きりのいいところで失礼したいものである。
上品でほがらかで奥ゆかしく、もうすこしいただけるけれど
そろそろお先においとまいたします、と
涼風みたいに去るのが似合う年齢になってきた。
泥みたいにへばりついて、会のさいごまで残って絵になるのは
せいぜい30代半ばまでだろう。
それを越えると<泥みたい>ではなく<泥>そのものになってしまう。
泥になってもべつにいいのだけれど、泥を砂にもどすのにも
ずいぶん時間がかかるようになってしまった。
この日からもう3日間飲んでいない。
禁酒ではなく、断酒でもなく、飲みたくないのだ。
飲みたくないというのは、禁酒より断酒よりつらい。
はぁあああ。
美味しい佃煮をいただいたので、
白湯でちびちびやっている春泥である。
春泥に底上げされてコンバース 漕戸 もり
仕事以外はコンバース。
コンバースを履いていると何者にでもなれそう。
