はて、そもそもハッピーターンってどんな味だったか、と
記憶をたぐりよせながら食べてゆく。
 
フジパン コッペパン ハッピーターン味
 
チョコレート味、抹茶味、苺味みたいにメジャーではない、
マイノリティーなハッピーターン味。
む?むむ?むむむ?という段階を踏んで
あ?ああ?あああ?とじわじわ沸点に達するよう認知する。
このようなマイノリティー味の先駆者は
うまい棒、さらにはポテチの、その昔には
それにつけてもおやつは、のカールか。
カレー味くらいで驚いていた時代を経て
今では、ハッピーターン味をたべている。
カレーが食べたいなら手っ取り早くカレーを食べればいいように、
ハッピーターンそのものを食べれば済むものを
わざわざパンで試すのは、どこかずっこけたい気持ちがあるのだろう。
うへ~、とか、やられた~とか、
そんなふうにして頭をぽりぽり掻いたりするということは
誰かがいないとなかなか成立しなかったけれど、
じぶんひとりで完結してすっかり満足できる。
しみじみいい時代になった。
 
肝心のパンのお味はというと、当然ながらハッピーターン。
ハッピーターンを召し上がったことがない方でも
なんとなく<ハッピーターン味>だとわかるようなスナック感は、

真面目にふざけていてうれしい。

と、
撮影した写真を見返せば

袋に、

 

ハッピーパウダーは使用しておりません

 

という文字。

 

どうやら伝家の宝刀までは抜いていないらしい。

そんな簡単に秘伝の味をひけらかさない、という誇りを

150円ほどのパンに明記しておくのを忘れないというのも

なんだかいい。

案外大真面目な<遊び>なのだ。

そういうことならこちらも真剣にずっこけよう。

 

それにしてもハッピーパウダーとはいったいどんなしろものなのだろう。

しあわせの粉。

なんだか怪しく楽しくこれまた生真面目で、

世知辛い世の中のまるで救世主ではないか。

でもこれを求めるようになったら、

わたしはいよいよあぶないような気がしないでもない。

しあわせの粉とは、そういうようなものであってほしいとおもう。

 

 

    若鮎の求肥に牙を剥き黙す    漕戸 もり

 

 

 

春のおやつは美味しい。

しずかに黙々とたべている。