おせち料理は誠に怪しい。
結婚当初からコロナ禍の数年前まで
年末年始は旅行先で過ごすというのが我が家の年越しだったが、
年始に旅先から帰ってくると
部屋の空気感が旧年のままのような気がするのが
なんとなくしっくりこないのと、たしかに楽しい旅だったのに、
正月早々、旅につきものの
「やっぱり家がいちばんですね」と家族で言いあうのも
なんだかなぁ、ということで、
旅の代わりといってはなんですが、近年は
カタログから選んで、デパートからおせち料理を届けていただいている。
今年は京都の老舗割烹料亭の三段重に鯛の尾頭がついたものにした。
他のデパートは存じ上げないが、贔屓にしているMデパートのおせちは
31日の午前中に届くので、特別おせちが好きというわけでもないけれど、
いよいよ新しい年を迎えるのだなぁ、としみじみする。
これはこれで悪くない。
今年のおせちは各お重ごとラッピングがしてあったので、
いただくときまでそのまま、玄関先かベランダの涼しい場所に置いておいた。
 
今年は31日と1日に宴席の予定があったので、
おせちの重をひらいたのは2日。
写真を撮ってみたが、撮影技術がないせいでなんとも地味にみえるけれど、
彩りうつくしい職人芸満載のおせち料理
(作業の多くはオートメーションであるとうっすら気づいてはいますが)
にお酒がすすむのは言うまでもない。
それにしても。
元日から食品を買い求めることができる現在において、
保存食の重要性が薄くなると、
つくづくおせちというのは、酒の肴なのだと実感する。

ふつう酒の肴になるものは、白いご飯のお供にもなるとおもうのだけど、

ことおせちとなるとそれが当てはまらないらしい。
わたしは白いご飯をたべないので(お米や麦は飲料から摂取する)
はっきりとした確信はないのだが、
年末年始にお会いした幾人かの様子をふりかえってみると、
目のまえにおせち的な正月料理が並んでいるにもかかわらず
お酒を嗜まない客人は一斉に
 
「(ごはんを食べるための)おかずがないから他になにか頼もう」
 
などと言いはじめるのだ。
 
おかずがないだとぉおお?
まあたしかに、おせちの各種をあつあつごはんにのせてたべるとき
ビジュアル的には非常に無味な気配がただよう。
これは、高価な柿安の貝のしぐれ煮で
ごはんは何杯でもただけそうだけど
どういうわけだか食卓は寂しいのに似ている。
 
一方、酒の肴は地味でいい。
地味なほうがいい。
ただし、だ。
先にも述べたように、おせちに長期保存は望まないので
せめてもうすこし甘辛加減を抑えてはくれないか。
お酒がすすむのが困るというのではない。
高血圧ガール(わたしです)は、血圧が心配なのだ。
一年の何十分の一ともおもえる量の塩分を摂りながら
新年早々おいしいお酒をいただきつつ、
とてつもない恐怖と闘うというのは、
あまりにも無様ではないか。
 
我が家のおせち料理、4日目。あとすこしだけ残っている。
まだ食べられる。
どうかこんなに怪しくしないでください。
 
  あたたかいを押せば白湯といふ水はごろりと落ちてゆする夜寒を
                    漕戸 もり