前回にひきつづきせっかくなので俳句の自選五句も残しておく。
今年は俳句にも短歌とおなじ比重で力を入れてきた。
俳句歳時記は机上に開きっぱなしなので、
どこのページをあけても元に戻ろうとすることがないから、
たいへん使い勝手がよい。
手に馴染む、というのを中年になってから知るのは
遅すぎるような気がしないでもないけれど、
まあ遅咲きでもうつくしい花はあるのだから良しとしよう。
と、美談で終わらせたかったが
実は、このように手に馴染んだ俳句歳時記がありながら
調子に乗って版のあたらしい、季節ごとの歳時記まで購入した。
これが人間の誰にでもある冒険心という名の浮気心である。
けれど、不思議と一向に馴染まない。
版があたらしくなったから多少季語数は増え、
お手本のような俳句も衣替えされていたり、もしくは足されている。
けれど、なぜだか使いたい季語のほとんどは
増やされた季語のなかに多くはない。
一方、季節ごとの歳時記は、それに加えて過剰な情報がついているだけだった。
過剰な情報は、あると助かるときもなくはないが、
イメージをふくらませる障害になることも多いのだ。
そういうわけで、
今のところ、長年連れ添っている草臥れた歳時記は、
相変わらずひらいたまま傍らにありつづけている。
新しい年に、両刀使いを目標にするのもいいだろう。
ふふ。
どちらもどうぞお世話になります。
Twitterに俳句の
#2022自選五句を呟く
というタグ付きのツイートはまだ流れてきていないが、
勝手に表明して挙げてみる。
申し訳ないほど畳む夏帽子
おととひの擦り傷かわき風薫る
ぬる燗と蕪煮と男ともだちと
紅葉狩とりつく島もなく奪ふ
しらうをの抜き差しならぬ間柄
漕戸 もり
2022年は戦争が勃発したり、
首相の死によって宗教に関わる問題が明らかになったので
以下ような句も詠んだ。
「ひまわり」を観る目はすこし古くなり
宗教と子どもの有無聖五月
漕戸 もり
戦争も宗教の問題もあたらしい年に持ち越しである。
新しいというのに、それはなんだかぬめぬめとして重い。
番外編として記憶しておきます。
2023年が解決の年になるよう願いをこめて。