2022年もあとわずか。

煤払いという雅な季語があるが、

それよりも煤籠や煤逃のほうが物語を描きやすい。

なぜならばそこには人間臭が漂っているからだ。

けれども、一見雅にみえる煤払いにも避けては通れぬ現実がある。

新年を厳かに迎えるためにといって掃除をするのだけど…

たとえば台所の換気扇や家中の網戸に対峙していると、

これは真夏にやったほうが絶対効率が良い、と毎年おもう。

おもいながらもう数十年過ぎている。

煤払いとはそのような心境をベースにして、

ゴム手袋を嵌め、髪を侍のように絡げ、眉毛もぼさぼさなまま

冷えて落ちない油汚れや水がいつまでも乾かない濡れそぼる網戸に、

<こんちくしょう>と向き合う哀れなひとときなのである。

孔雀の羽根で書棚や照明器具をひやらひやらと撫でるのが、

煤払いではないのだ。

 

歌人のみなさまがTwitterで

#2022自選五首を呟く 

のタグをつけてつぶやいているのが流れてきたので

5首を選んでみた。

 

 

 擦りおろし林檎サワーを飲み干して夏には夏のひざ掛けをひらく

 絶対といふことが減りせともので麦酒を呷る喉なりやすし

 体からまず傾いてゆつくりと心が従ふやうな狐火

 寝てゐる木寝てゐない木とゆびを指しよその子がよその母にだけ言ふ

 背へ圧した乳房がごめん平らかでどこからわたしだつたのだらう

                        漕戸 もり

 

今年も駄作がつづきました。

来年も駄作を生みだします。

けれど、馬鹿な子ほど可愛いというではないですか。

よそのひとにもかわいがっていただけるよう

生み育もうとおもいます。