このスーパーの入口を入ったすぐ左に本屋がある。
よほどの本好きが設計したか、本屋の押しが強かったのか、
いずれにしても、素通りできるひとは一握りもいないようだ。
本以外にも、今の季節だとカレンダーや手帳、葉書やかるたまで、
なんとなく手に取って眺めたいものが、どっさりと陳列されている。
買う買わないは別として、
本がビールや林檎やパンとおなじように買えるのを、
うれしいとおもうのはいけないことなのだろうか。
なんだかそれは、大きな声で言ってはならないような気もしないではない。
ついでに言うと、本の大半はAmazonで購入しているというのも、
どこかうしろめたい。
 
路面店の八百屋さんやお肉屋さんや靴屋さんのほとんどが、
スーパーのなかに統合されてしまうように、

路面店の本屋も吸収されつつある。

いやもっと残酷なことに、

スーパーのなかからも姿を消しつづけている。

瑞穂区の路面店である七五書店が来月閉店することもふくめて

おもうところもあるので、このことについてはまた別途書くつもりでいる。

それにしても、

残酷、と言っておきながら路面の本屋に行かないのは、

みっともなく矛盾を晒している。

ウクライナの戦争に心底反対しているのに、

玄関にクリスマスのタペストリーをつるして、

心躍らせている滑稽さと差異はない。

ごめんなさい、と七五書店にもウクライナにも謝っている。

こんな謝罪は到底受け取ってはもらえないくそ謝罪でしかない。

それをまた詫びたいとおもう。

 

買いものの前に雑誌を捲る。

それで、確認したいことを認めると、

雑誌を書棚にもどし、食品を買いに売り場へ向かった。

なにもかも、いいんだか悪いんだかますますわからない。

本屋はあって欲しい。

戦争はやめて欲しい。

なんと身勝手なひとすじの希望なのだろう。

 

 

 

 

   野良猫も案山子も人知れず乾く

         (漕戸もり NHK俳句12月号 佳作高柳克弘選 兼題「案山子」より)

 

 

了解。

たしかに確認いたしました。