今どきお歳暮という慣習もどうかとおもうけれど、

街全体がキラキラしているせいか、

ついつい品物を買ってみたり、

買うからには贈りたくなったり、

反対に贈られたり、また、

別れ際にちらほら「よいお年を」と言い合ったりすることで、

今年もそろそろ終わりに近づいているのを実感する。
なんにでもそうだけど、終わりにはどことなく寂しい気配が漂うが、

コロナ禍とはいえ、12月にはクリスマスがあったり、

なんといっても忘年会シーズンだからか華やいでいる。

そんな影響を受けているのか、

まあ多少のことは許しましょう、という気にもなる。

一年間頑張ってきたことをねぎらいたいというような、

本能のせいなのだろうか。

 

ぜい肉が容赦なくふえはじめるのもこのころだ。

まあいいでしょう、

年末ですし、と、

とくべつゆるしをもらった記憶はないのだけど、

なんとなくじぶんに甘くなる。

いや、ご褒美をいただくような一年ならば、

もうすこし律しているような気がする。

プライドはこんなときこそ力を発揮するものだから。

 

美味しいチョコレートをいただいた。

乾燥させたまるごとの苺に、

良質なチョコレートがコーティングされたブローチみたいなお菓子。

夜お風呂に入って髪を乾かし、今まさに寝るというとき、

朝ベッドのなかで起きなきゃ、とおもっているとき、

まあいいでしょう、とひとつふたつつまんで、

たった一昼夜で跡形なく消えてしまった。

宝石は文字通り血肉となったので、

完全に消えたわけではないけれど。

 

誘惑というタイトルの森瑤子の小説がある。

ついでにGLAYの歌にもあった。

もっといえば韓国ドラマにも。

そこらじゅうにある誘惑はなぜか艶っぽい。

せいぜい、ぜい肉を増やすくらいの誘惑を、

やれやれとおもっているのが幸福というものである。

ごちそうさまでした。

 

 

 

   真剣に話すことでもないけれど紙のストロー噛めば塞がる

                    漕戸 もり