絶望ではない。
滅亡である。
作家深沢七郎が、悩めるひとびとの人生相談にのる
Q&Aスタイルで構成されている「人間滅亡的人生案内」。
深沢七郎といえば、名著「楢山節考」の作者なので、
純文学作家というお堅いイメージがあったのだけど、
この本を読むと、ずいぶん印象が変わる。
1971年に刊行されているので、
相談の内容に時代の隔たりをかんじるけれど、
深沢七郎の回答に、経年感は微塵もない。
むしろ、令和の時代に合っているような気がするので、
当時は、相当色物扱いだったのかもしれない。
帯に「もう死にたいと思った時に読む本」で紹介!、と書かれているように、
テレビ番組で紹介されてから、じわじわ売れ続けているらしい。
「もう死にたいと思った時に読む本」だけど、
髪をトニックシャンプーで洗うよう、
からだやこころを一瞬だけでもシャキッとさせたいとき、
この一冊で済むのだから面倒がない。
「楢山節考」というシリアスな小説を書きながら、
人生相談にこのような回答ができるだなんて、ではなく、
このような回答をする人物なので、「楢山節考」が書けたのだ、と
読後かんがえが変わってしまった。
作家の傾向を、シリアスなのかユーモアなのか、と
右往左往しているのは読者ばかりで、
深沢七郎の目は、そのどちらにも偏ることはなく、
俯瞰で見ているにすぎないのだった。
それにしても1914年生まれの作家の本が、
それも、小説やエッセイではなく、軽妙な人生相談が、
古びることなくふたたび脚光を浴びるなんて、
なんともしあわせなことだ。
作家にとって、というよりも、
読者にとって、というほうがしっくりくる。
すでに亡くなった作家に印税が入ってきて、
孫かひ孫か親戚か、そのだれに渡ったとしても、
災いのもとになるような気がしてならない
(と言いつつわたしのひがみねたみそねみ笑)。
最近人気の活字上での人生相談は、
劇作家の鴻上尚史さんや作家の高橋源一郎さんが主だったところか。
それでも、深沢七郎の、
ひとをないがしろにしているのか、
かわいがり、という愛しかたの種類なのか、
まるでよくわからない回答は、
案外望まれてはいるけれど(だからリバイバルしたのだ)、
SNSなど可視化によって、
いい加減に発信できにくい素地が育ちすぎているのだろう、
あまりみられなくなった。
進化はときどき残念な結果をまねく。
映画「2001年宇宙の旅」を今になぞらえて観るように、
この本を読む。
深沢七郎はおじいさまではなく、年を取らないままで、
かわいがり、を仕掛けてくる。
もう死にたいと思ったときに読む本は、
死ぬのをおもいとどまらせるための本なのか、
それとも、その逆なのだろうか。
どちらにしても、読んでいるあいだはすくなくとも
「もう死にたい」とおもっていても(生きている)。
生きるとは、その連続なのだ。
凩の風よりも木を囲ひがち 漕戸 もり
