我が家の冷蔵庫、こと、近所のSEIYUがクローズした。
40年の歴史に一旦幕を下ろす。
SEIYUからウオールマートへ、最後は楽天傘下にと、
大人の事情もくぐり抜けながら、なんとか持ちこたえていたけれど、
コロナや老朽化やその他もろもろあって、
今がそのタイミングだったのだろう。
24時間営業だったので、
深夜にパジャマのまま乾きものを買いにったり、
塩辛やバケットとにんにくやチーズを買いに行った。
はたまた朝方に目覚めてしまい眠れなくなった夜のような朝、
ふらふらと出かけて、普段買わないようなマーマレードや
レギュラーコーヒーやらを買いこんで、
明日こそはあたらしい自分になるのだと、気合を入れてみたりした。
 
以前もどこかで述べたかもしれないが、
人生で7回の引っ越しをしていて、
今の住まいに落ち着いてからは8年になる。
この8年間、SEIYUと蜜月だったのはもちろんなのだけど、
実は学生時代、
まだSEIYUが西武百貨店の系列会社で、
スーパーというよりも高級スーパー然としていたころ、
外商兼商品券や観劇チケット等を担うサービスカウンターという部署があって、
そこでアルバイトをしていた。
(その部署はとうのむかしになくなっている)
バイト料金が良かったとか、たまたま採用されたからとか、
そのような、些細なことで決めたテキトーなバイト先だった。
このことと、現在SEIYUの近くに住んでいることとは、
全く関連はなく、気づけば再びSEIYUとの縁がはじまったのだった。
 
当時のサービスカウンターは、自分で言うのもどうかとおもうが、
CAのような(首にしゃらんとスカーフを巻くような)制服があり、
おなじ店内(おなじアルバイト)でも、
一目置かれる高嶺の花のようなひとたちが働く部署だった。
サービススタッフそれぞれに、御贔屓にしていただいているお客様がいたり、
口説かれたり、高級なお品をお願いすれば買ってくださったり、
それはまるで、ホステスさんと何ら変わりない
(みず)に近い職場だと、今だからしみじみおもう。
セクハラもパワハラも、気合で乗り切ってきた。
そういう時代だった。
 
同世代のアルバイト、名古屋名工南山名城中京金城淑徳椙山生…。
みんなともだちで、ほんとうによく遊んだ。
第一次モテ期だったけれど、
それはCAコスプレのおかげだと当時から自覚していた。
あのころ、携帯電話もラインもなかったから
今消息がわかるのは、数人しかいない。
でも、そのほうがいい。
CAコスプレももうないし、わからないのはやっぱりただしい。
 
SEIYUがクローズするので、
もしかして当時のひとたちが、集まってくるのかも、会えるのかも、と
おもわなかったわけではないけれど、
閉店前に(昨日も今日も、ひとつふたつ無駄なものを買いに訪れている)
お別れに行ってきた。
200?いやもっとの人々がお別れに来ていたけれど、
ああそうだった。

年月とマスクが邪魔なのだ。

もしかして、会いたいひとは隣にいたかもしれないけれど、
偶然とか奇跡なんて、だからおもったようには起こらずに、
蛍の光と今の店長さんのお別れの言葉を、
わたしはあのときのわたしとふたりで聞いていた。
 
4年後、と店長さんは言った。
17階建てのマンションの1階部分でまたお目にかかります、と。
 
4年後。
 
戦争もウイルスも消えて
地震もなくて、今の気持ちで待てますように。
40年、お疲れさまでした。
 
 
  衰へる焚火と蛍ひかりかな     漕戸 もり