年末に近づくとやたら整理整頓したくなるのが人の情である。
情(じょう)に(け)を付けると情け(なさけ)と読む。
情けは人のためならず、を辞書で引くと
人に対して情けをかけておけば巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味
、とある。
いやいや、人に情けを掛けてやることは結局はその人のためにならない、というふうに
うっかり意味を間違えそうである。
ならず、って、
もうぼこすこに殴りたいほど憎らしい成り立ちなので、
頭の悪いわたしには、一瞬脳内で整える間が必要だ。
このとき脳内はどうなっているかといえば、
ならず=断定の(なり)+打消しの(ず)
つまりだ、
である+ない=…でない
よって、
人のためではない=自分のためである
、という図式をおもい浮かべている。
時折わたしが旧かなの短歌や俳句を前にして、ぼおっとしているのは、
鑑賞しているのでも、吟味しているのでも、感動しているのでもない。
ただ単に中学校の古典の教科書の初歩ページを、
脳内にうつしだし、焦っているだけである。
一年をとおしてみると年末の整理整頓(断捨離ふくむ)は、だんとつで潔い。
そのぶん後悔をすることも多いけど、
もともと(物も人も)所有することにあまり興味がないので、
また欲しければ買えばいい(人なら狙えばいい?)、
買うまで(手に入れるまで)の期間、
本屋なら本屋に、衣服ならショップに、人ならだれかの横に、
置いておいてもらう、という図々しい気もちで、ばっさばっさと整理してゆく。
先日、
ご不要なレコードはございませんか?
というチラシがポストに入っていた。
この時期、やたらと不要なものを欲しがるひとが出現する。
家電をはじめパソコンなどの通信機器や衣類、宝石や家具、
はたまた車や家や土地、株などの有価証券まで、ひとは何でも欲しがる。
欲しがることは、なんとなく恥ずかしいことのような気がするが、
年末のどさくさに紛れて、奥ゆかしさはどこ吹く風、
欲しい欲しい譲ってくれ、とその声は大きくなるばかりだ。
レコードをお買い取りさせて頂く、という
(買い取り)に付いた(お)が、怪しげな印象ではあるけれど、
派手々しいこの広告には、ある程度の成功を収める予感がある。
なんせ、レコードだ。
ネットの売り買いに出しても、
配送の難しさと送料を差し引けば、儲けは限りなく薄い。
レコードショップに持ち込むこともかんがえたが、
すぐに欠けてしまいそうな繊細な形状のくせに、
束ねると図々しいほど重い。
先着1,000名様とうたってはいるけれど、
黄色に朱色の文字では、信憑性は疑って余りある。
なにしろ、ひとは欲しいのである。
あのレコード、このレコード、そのレコード。
もしもあのとき(実家の建て替えのとき。父母は音楽好きだった)
処分していなければ、いまごろわたしは、
というか実家は、うっかり小金持ちになるところだった。
真剣にさがせば、まだ段ボールに数個は眠っているかもしれないけれど、
以前の後悔からか、もうすこし実家で熟成させておこうとかんがえている。
今回は、欲しいというのにご要望に沿うことができなかった。
情けは人のためならず。
心がけながら、いよいよ年末の整理整頓がはじまる。
目の力耳の力が衰へて確かめるためもつと近づく 漕戸 もり
