十分堪能できたと満足するのか。
たぶん問題は時間の長短ではない。
対象物へのリスペクトを大前提に、追う方(番組制作側)が、
自分がこの対象物のファンだったら、
どのあたりまで肉薄したいかと想像力を動かせば、
もうすこし観たくなる番組になるのにとおもう。
何度も言うけれど、そこに時間の長さは関係ない。
それでもどうしても観たい、録画しよう、とおもうのは
対象物への興味が、番組への不平不満に勝つ場合。
それが木下龍也氏の回であり、今回のジャルジャルの回だった。
ジャルジャルは2020年キングオブコントの勝者で、
実力を認められて人気も抜群なのだけど、ほかの芸人さんのように、
番組のMCをしてみたり、ひな壇に座ってクイズに答えたり
俳優や声優をやってみたり…
コント以外のことをしているのをあまり見かけない稀有なコンビだ。
それに、フリートークなどで芸人さんが芸人さんの名まえを出して
親しいことや反対のことを話すなかに、
ジャルジャルはもちろん、ふたりの名まえもあまり出てこない気がする。
キングオブコント後、ふたりの2年目の今。
羨ましいほどのびのびと自由。
とてもいいかんじに駒をすすめている。
それにも増してキングオブコントとは、ついでにM1とは。
勝者とは負者とは。
いろいろかんがえてしまった。
キングオブコントに勝つための年月を、
「ほんまに毎年苦しかったですから」と福徳さんがつぶやく。
そして2020年、見事優勝すると
「今後は好きなことだけやっていける」
「やりたいことだけやっていける「コント」だけやっていけるぞという」
正直な吐露が清々しい。
芸人さんじゃなくてもどんな立場や境遇のひとにも
似たようなことはある。
詩歌を作成していると(といってもまだ8年選手ですが)、
おもうように成果が出ないこともある。
というより成果らしきものなどとんと出会ったことがない。
短歌実績は過去にここでも言述したので詳細は省くけど、
なかなかどうして乗り越えるべき山は高い。
けれど、万が一地道な努力が実を結んで優勝(受賞)すれば
「今後はすきなことだけやっていける」になり、
「やりたいことだけをやっていける
「短歌(もしくは俳句)」だけやっていけるぞという」へと
理想が確信に近づくのだと信じてやまない。
実はそうでもないらしい、というのもどこかでわかっているのだけど
今は信じておこうとおもっている。
ジャルジャルのキングオブコントへの挑戦は
「ほんまに毎年苦しかった」というだけあって実に13回。
優勝前「尖っていて扱いづらい」という評価だったジャルジャルは
優勝後「13回挑戦しつづけるただのコント好き」と言われるようになった。
承認欲求とはすこしちがう。
自分を自分で許せないというのに近いのかな。
わたし自身のことに置き換えてみると
毎年の恒例行事のようにひとつ大きな賞に応募していると、
そして、ああ今年も優勝(受賞)できなかったとおもって憤っていると、
じぶんのなかに自分育ての教育ママがいて尻を叩いている気配がする。
優勝(受賞)したらやりたいことは山とある。
たとえば飲みながらの歌会企画だとか
(興味本位で参加してくださるひとがいるだろう。
きっとでたらめだけど雅とおもう。単純に無礼講で短歌を詠もうみたいな)
有名歌人と共著を出すとか(多少は聞く耳を持ってくれるだろう)
アナウンス仕事の名刺に筆名も追記して、
タイアップできるような仕事のアイディアもいくつかある。
はあぁ。
タイトルを獲得しないと認めてもらえないことばかり並んでしまった。
13回かあ。もうすこし頑張ってみるか。
みつめたら開(はだ)けてしまふ冬木の芽 漕戸 もり
