色の名まえを細かくしらべてみるとほんとうに奥が深い。
以前、手づくりの絵本製作に凝っていて、
たくさんの色鉛筆を購入したことがある。
色鉛筆には一本一本丁寧に名まえがついていた。
名まえは日本語と英語とふたつあり、
なによりもこの色のネーミングが気に入ってしまった。
たとえば、英語表記でRICH PURPLEと名付けられた色は
青に緑や紫の粒子が混じっているような、
いやほんとうは混じっていないのかもしれないのだけど、
そんな印象を受ける色に日本語で(晴天のアドリア海)と表記されていたり、
GARDEN CLUBというやさしい緑にはひらがなで
(ゆでたてのさやえんどう)という名まえがついていた。
もちろんこれは企業のひとつのアイデアに過ぎないのだけど、
たしかに色をえらぶときのひとつの選択肢になったし、
色鉛筆を手にするたびにうっとりしたものだった。
これは特殊な例としても、
俳句や短歌を詠む際に色の名まえをしらべることがある。
青は青でも、金青、二重緑、次縹、呉須色、青藍、錆納戸、み空色…、
色にはまだまだあげればきりがないほどの種類がある。
揺れやすい感情を三十一文字に落とし込むとき、
青、と言い切ってしまう前に
もうすこし今の気もちを的確に表す色はないか、と
さがしてゆく作業は嫌いではない。
先日の皆既月食で見た月の赤黒い色は赤銅色というらしい。
しゃくどう、と読む。
けれども。
窓から写真を撮りながら、月そのものが剣道の防具にしかみえない。
わざわざ、あかどう色、と言って家人に
「馬鹿か」と言われ「馬鹿だけれどそれが?」と言い返したのだが
敵もそのうちわたしの馬鹿が気に入ったとみえて
「あかどう色だ」と写真を撮りながらつぶやいていたので、
まあそういうことなのだとおもう。
すなわち、先日の月の色は、
赤胴鈴之助というイメージの色だったというわけである。
すくなくとも馬鹿っぷるにおいてはだけれど、
ほどよい場所に着地したのだ。
追記。
それにしても赤胴鈴之助とは、いったい何者なのだろう。
顔かたちもわからぬまま、名まえだけ存じ上げているという
稀有な人物のひとりである。
耳朶のピアスホールは桃色でこのままずつと甘いまま
漕戸 もり
月。
空のピアスホールみたい。
