気に入っているお店のひとつに、
10人も座れば肘と肘がふれあうほどのカウンターだけの居酒屋がある。
料理上手な妹みたいな雰囲気の店主がひとりで切り盛りしていて、
店の奥の大きな黒板に書かれた本日のメニューも陶器やグラスのチョイスも、
どなたかの新妻か小さな子どもがいる若いママさんのような初々しさがあるのだけれど、
その延長線にあるメニューがなかなか家庭的でほっこりしているので
単身者などにウケているらしく、行くと大体ひとり客が3人ほど
すこしずつ距離を置いて日本酒などを召し上がっている。
お家でくつろいでいる雰囲気があふれているのは、彼女の佇まいやお料理だけが理由ではない。
スリッパだ。
ここではお客様は靴を脱いでスリッパを履く。
大きな居酒屋や和食店にも、入口に靴のロッカーがあったり、
お座敷前で靴を脱いで仲居さんに預けるところはある。
でもそのあとわたしたちは、別の履物を履くことはほとんどない。
あったとしても、ちいさなカウンターしかない居酒屋ではあまりみかけないだろう。
想像してみて欲しい。
おじさんやおばさんがカウンターに座り、
お酒を飲みながらスリッパの足をぶらぶらさせている景色を!
 
足元が無防備になると人間は途端にふやけてしまう。
いい意味でも悪い意味でも。
靴は足を覆ったり着飾ったりするものだけど、
気持ちや態度を(整える)というものでもある。
「初対面のひとの足元を見るとそのひとがわかる」と、物知り顔で
(なんでああゆう表情になってしまうんだろう)言うひとがいるけれど
そんなこというまでもなく、わたしたちは本能的に他人の足もとを盗み見ている。

ここはなにかとほころびやすいのに、注意していないと目が届きにくい。

でも逆に、ここさえきちんとしていれば絶対見破られない嘘のつきやすい場所でもある。

そのいろいろを脱ぎ去り、おそろいの花柄やギンガムチェックのスリッパに履き替えて

足をぶらぶらさせていると、くつろぐしかないでしょうという気分になる。

いい意味でも悪い意味でも。(本日二回目)

 

このスリッパ。

わたしのなかでは靴寄りではなく、靴下寄りに位置する。

これはコロナ禍ではじまったわけでなく、幼少のころからなので筋金入り。

病院のスリッパ。ともだちの家のスリッパ。あらゆる仕事先のスリッパ。

そして大好きな居酒屋さんでのスリッパ。

除菌スプレーや消臭スプレーをふりかければいいという問題ではない。

スプレーをかけたからといって、ほかのひとが履いた靴下を履ける勇気はない。

これはもう拷問に近い。

どうしてもというときは、覚悟を決めて浅くスリッパを履き、

実際はなにも変わらないことは知っているけれど、気分だけでも

できるだけ体重をかけないイメージで歩いたり、

最近では加齢のせいか、いいかんじに協調性も削げてきたので、

遠慮できる場合は丁重にお断りする。

実家ですら母に「廊下が冷たいからスリッパを履きなさい」と勧められてもやんわりと拒む。

 

写真はわたしのここ数年愛用しているスリッパ。

毎日入浴の際、ついでに洗ってベランダに干しておく。

数足同じものを買いそろえているので、雨天にも困らない。

歯ブラシのように擦れてきたら、ためらいもなく捨てる。

というのも、なんとこちらはセリアの製品。

セリアよ、ありがとう!

 

でもなあ、なんでだろう。

ご紹介した居酒屋さんがこのシステムを取り入れたとしたら、家庭的な要素が減るような気がする。

もしや家庭的というのは、同じ靴下を履けるということ?

ちなみに家人のスリッパは、

家人が仕事に出かけている間に殺菌スプレーをして天日干しをしている。

そんなことがばれたらどことなく気まずくなりそうで、こっそり干す。

先日、ベランダの日当たりのよい冷暖房の室外機のうえに干したまま、

夜玄関口に戻すことを忘れていた。

なんで室外機の上かよ、とぶつぶつ独り言を言っていたが

「なんとなく」と答えて終わった疑惑であった。

毎日が綱渡りである。

 

 

 

 たぶんまた此処に生まれる烏瓜    漕戸 もり