使いふるされた言葉だといえ、使ってはいけないというわけではないので、
最近実感している気持ちをひとことで言ってしまおうと思う。
死ぬまで青春。
既に人生の折り返し地点を歩いているけれど、どうも人というのは生きている限り
青春を抜け出すことはできないのではないかと気づいてしまった。
そんなこと既に仰っている方も多くいるので、何をいまさらなのだが
いよいよ確信というか確定したと言ってもいいくらい、その感触を味わっている。
青春は青い春というように、澄み切っていて爽やかで甘酸っぱくてせつなくて…という
まるで柑橘類を皮ごとかぶりつくような未成熟さを感じるが、
それはどこかで終止符を打たれるというものではなく、いまだに延々とつづいているらしい。
ささやかな目標を定めて暮らすような毎日に、泡立つちいさな波風に慣れることなく、
溺れそうになるたびだれかの手を求めたり、
凪いでいる昼下がりには楷を手放してすこし泣いてみたり、
嵐の夜に静けさがあることに耐えられなかったり、それらはまるで青春と相違ない。
ひとつあの頃と違うのは、心身の劣化である。
わーきゃーと受け止めるのだけれど、平常運転に戻るまでの時間がだいぶかかる。
まあ別に、慌てて平常運転に戻らなくてもいいんだけど。
ユニコーンや奥田民生は、ちょうど同じクラスの男子たちのようだった。
そんなふうに一緒に生きてきたせいなのか、当時のCDを聴き直すよりも、
今の彼らが歌うあのころの曲を聴くのがすきだ。
すこし声が掠れようとも、歌詞を飛ばそうとも、おかしな節をつけて歌おうとも、
全く気にならない。いや寧ろ、そのほうに期待をしているのかもしれない。
何もないな 誰もいないな 快適なスピードで
道はただ延々続く 話しながら 歌いながら
カレンダーも 目的地も テレビもましてやビデオなんて
いりませんノンノン僕ら 退屈なら それもまたグー
名曲をテープに吹き込んで
あの向うの もっと向うへ
(「イージュー★ライダー」より 作詞 奥田民生)
空で歌えるわ。(名古屋弁)
きらきらと歌えるわ。(また名古屋弁)
洗つたら血が出るやうな秋簾 漕戸 もり