写真は、右に傾く名古屋国際センタービル。
 

 
右利きは右回りに、左利きは左回りになりがちだとずっと思っているけれど、
そうでもないのだろうか。
たとえば目の前に、迂回するしかないような水溜まりがあったとして、普通はどちらを選ぶだろう。
わたしは右利きということもあって左回りというのはどうも具合が悪い。
ついうっかりと、スカートの裾を水溜まりに濡らしてしまうようなたよりなさがあるのだ。
それに左を選ぶのは、なんだか粋がっているような鋭さすらある。
 
   水たまりを右回りしてゆく朝の駅裏の窓にある米印  
    (2022・9・1東桜歌会題詠「米」 江口 美由紀)
 
東桜歌会の本日の会場は名古屋駅の国際センタービル。
個人的にこのあたりには、公私ともに通っていたこともあったので、
いっそのこと東桜の本拠地をこちらに移転して欲しいくらいであるけれど、伝統のある歌会のこと。そんな簡単にはいきません(よね)
でもですよ。
名古屋駅から徒歩で到着できるとしたら、もしかしたら愛してやまないあの歌人やこの歌人、はたまた風変わりで有名なあの歌人すら、ふらりと訪れてくれるやもしれないと思うと、心躍ります。
それでもやはりその愛は、われらの父であり兄でありもはや家族の長老である荻原さんの次にはなってしまいますけれど。
 
それにしても、本日の東桜のお茶請け(要するにお菓子ね)は素晴らしかった。
あれから自宅ですべて平らげたが、東桜より抜きんでた菓子をいただける歌会や句会があれば教えて欲しいほどだ。
未来短歌会の青山さんやルイドさんはじめ、ご用意していただけるみなさまのセンスの良さには脱帽するばかりである。
帰宅して既に焼酎とともに腹の中なので画像はないけれど、特に、山田餅の「鯱の大祭典」という、なんだか河村市長の回し者のような名前のグランパスコラボどら焼きには驚いた。
小ぶりのどら焼きにとろっとろのチョコレートが包まれていて、ハンガリー人がトリュフを赤ワインで流し込むように、チョコレートで汚れた口中をいいちこで一気に洗った。
はぁああああ。
一か月前には文字も読めない状態だったのに、なんとかここまで帰ってこれた。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
 
味覚臭覚は残り半分。
 
  たぶんまた出会つてしまふ底のない排水溝に米を流して
   (2022・9・1東桜歌会題詠「米」  漕戸 もり) 
 
不甲斐ないのは相手ではなくて、このわたくしだった。
馬鹿は死ななきゃ治らないのなら治らなくていい。
まだやり残していることがたくさんあるのだ。
愛することもふくめて。
そもそも、そんなことをほざいていることがもう不甲斐なさなんだと思う。