久しぶりのブログです✨
そして少し私自身の事の
お話をしようと思います。
少し長くなりますが
読んで頂けると嬉しいです😊
1974年2月16日生まれ
もうすぐ50歳 半世紀を生きてきたことになります。
ずーっとどこかで書きたいなという話があって
私が何故 珈琲屋さん 飲食店をやっているか
多分そこに繋がる話です。
つらつら書くので読みにくければ
スルーしてくださいね!
ではスタートです❗️
子供の頃の私は超お転婆な女の子でした。
保育園の頃はお昼寝が嫌いで
というより出来なくて💦
なぜみんなと一緒に寝なきゃいけないのか
眠くないのに寝たフリするのか
お昼寝が嫌で逃げ出した事もあったりと(笑)
多分大人をよく困らせていたんじゃないかなぁ🤔
3人兄妹の長女で その頃は厳しかった父と
真面目な母と 弟、妹の5人暮らし
母いわく 少しお金がない貧乏1歩手前のような
暮らしだったのではないかと思います。
とはいえ賑やかな暮らしに影がさすのは
私がお腹が痛くなったのが最初でした。
あまりにも痛みが続くので
近所の小児科を受診したのですが
原因が分からずで地元の市民病院を紹介されました。
私5歳 保育園の年長さんでした。
市民病院では「盲腸かもしれない」と
緊急入院をして手術をする事に。
私はあまり記憶がないのですけど
術後2日目のベッドの上で
お腹が腫れてるねぇと言われ
もっかい手術をする事に。
麻酔の匂いが「バナナが好き」と言うと
マスクからバナナの香りがしてきて嬉しかった記憶🍌
母達は最初の盲腸の手術では
盲腸の腫れがなかったけど取り除いたこと
腹膜炎を起こしていたので
その処置の為に大きく開腹した事が
告げられていたようです。
2度目の手術でも腹膜炎がひどかったので
その処置と腹腔内を触ると
しこりのようなものがあるのでガンかもしれない
ここでは対応出来ないので
大きな大学病院を紹介すると言われたようです。
この時父は心配のあまり
一晩で髪の毛が白髪になったと
後から笑い話のように言ってました😅
そして自宅からは50分ほどかかる
K大附属病院への転院。
救急車での移動だったので
幼い私はテンションMAX⤴︎⤴︎
とはいえ術後だし遠いし
サイレンはうるさいしという感じでした💦
紹介して頂いたのは
小児外科の権威であるS先生
診断結果は急性膵臓炎
内科的処置で対応しますとのこと。
多分母と父はかなり安心したのではないでしょうか?
治療は絶飲食、持続点滴
幼かった事もあり点滴の針が入らずに
看護師さん達を苦しめたのは
この頃が最初だったんだろうなぁ
母が付き添ってくれていたので
いつも独り占め出来てたのが嬉しかったり
ビタミン剤入った黄色い点滴の匂いが
おじいちゃんが母に持ってきてくれる
お弁当のおかずにあったしいたけの煮物の
匂いとかぶって
しいたけが嫌いになってみたり
観光バスの運転手をしていた父は
弟と妹の世話をどうやってしてたんだろう
私が幼すぎて記憶が曖昧ですが
40日間ほどの入院で終わりました。
最後にバターを塗ったパンを食べて
お腹が痛くならなかったら退院というのは
鮮明に覚えています。
そのトーストの美味しさごと🍞
退院してからは
お見舞いでもらったお人形さんの
お腹をハサミで切ったり針で刺したり
荒っぽい病院ごっこがお気に入り!
将来は看護師さんになると
セオリー通りな夢も出来ていました😊
その後はお腹が痛くなったりすることもなく
無事に小学校となり
いつも外で遊び回る
手術を経験してるとは思えないような
元気な生活を送っていたのですが
また小学4年の冬に強い痛みが襲うのです😭
(続く)
あまりにも長くなるので
何度かに分けて投稿していきます!
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ではまた②をお楽しみに!