独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

流行りの珈琲に左右されない味を貫く珈琲焙煎士

僕はただひたすらに「おいしい」を届けたいだけ。
自分を磨き続け、澄んだ世界で創る最高の一杯を。

過去が今の自分をつくるし、今の自分がこれからの自分をつくる。

 

常識は偏見の寄せ集め。まさにその通りだ。

 

 

長年にわたって何度も傷付いてきた経験をもつひとたちは

 

それをどうにか阻止しようと自分自身で作りあげた大きな防御壁によって

 

きっと精神や肉体を攻撃されることから逃れることができる代わりに

 

誰かしらからの外的な愛情や、やさしさも防いでしまうようになって

 

「そんなはずがない」「どうせ騙される」という心理がはびこっちゃって

 

どんどん殻の中に閉じこもった人生をあえて保身のために選ぼうとする。

 

 

これはもう、まさに、まさに、一時期の自分がそうだった。

 

 

ホントに盲目になっちゃって周りの誰の言うことも信じれなくなって

 

優しい言葉かけられても「何言ってんねんんなわけあるかい」で押し通し

 

なんなら当時の彼女ですら「迷惑かけてしまってる」と関係を断ったっけ。

 

 

今だから苦笑いで話せるような時期ではあれど その自分自身に対して

 

「もう自分なんて」が頭を占めてどうにもならなかったタイミングについては

 

保身を考えると 自分が孤独を選ぶこと それこそ最良の選択だと思い込んでいた。

 

関わるな、俺の周りにいても何も良いことはないぞ と。それがさっきの「壁」。

 

 

「大丈夫大丈夫!」笑ってるひとの"中のひと"はそうじゃない。

 

 

どうしても外の世界はきらきら✨して見えてしまう。

 

 

あのひとはすごいな あの子は頑張ってる あの社長にはかなわない

 

「自分なんかでは到底ああはなれない」

 

 

「あなたはすごい」と言われても「いやいやいや」が口癖になって。

 

 

再度言うが、まさに、自分がそうだった。

 

自分に自信がない。 しょっちゅう口に出していた。

 

 

「ものづくりには自信があるけど、自分という人間にはてんで自信がない。

 貯金もないし稼ぎも少ない。コーヒーを作ることは自信あるけどね。」と。

 

 

このセリフを店で自分から聞いたことがあるひとも沢山いるはず。

 

実際、それぐらいしょっちゅう口癖かのようにそう言っていたから。

 

 

その口癖を自分が手放せるようになったのもほんの1年2年ほど前だ。

 

本当にそれだけずーっと、自信がない自分への執着依存がひどかった。

 

 

今の自分がなんでそこを、ほとんど脱することができたんだろう?

 

 

それを紐解いていくと、それもまた趣味(オートバイのことだったり)や

 

色んなお仕事先の方々からいただく自分へのありがたいフィードバック、

 

そして「40代」という過去の「量」とともに「質」を自身に感じはじめて

 

「出来ない」に目を向けるより「出来ること」に意識を向ける割合が増えた。

 

サーキットで何度も去年は表彰台に乗れたことも大きかった気がしている。

 

自分に自信がつくとか、なんとなく仲間や仕事に恵まれているというような

 

可視化されていない「豊かさ」とか「楽しんでる自分」にもっと目を向けて

 

「今、いい感じじゃん」と自己暗示をうまい具合にかけれるようになったのかもしれない。

 

 

そして他者にも、目利きじゃないけど「見える目」になってきたのだろう。

 

本当に「変な奴(言い方)が全然居ない。」ということ。("変態"はたくさん居る🤣)

 

 

もちろんその目を育ててくれた方々あっての今の自分。

 

おかげさま。 それがあっての、自信の顕在化だ。

 

 

友達100人でっきるっかな♪ でよかった幼稚園児の頃の自分。

 

今は 本当に自分のこと理解しようとしてくれるひとが1人でも居たら

 

自分は幸せだと言っちゃえるぐらいにその「沸点」は低い。

 

 

なのに、それが何人いるだろう?1人か?いや、きっと沢山いる。

 

だからこそ自分が自信のないままに生きることはある種「失礼」でもあり

 

その気持ちに報いることができる自分であるように努力を"したい"と

 

"しなきゃいけない"じゃなくて"したい"が勝るようになった。

 

 

能動的になるために、誰かの言葉の力を借りて、それを支えにして

 

ジャンプアップを狙えるということに気付くまでが本当に長かった。

 

豊かさを得るという勇気を持つことほど難易度の高いことはない 

 

それはいまだに思うことがあれど、やっぱり今は今で楽しいわけで

 

これ以上を求めること自体が「欲張りじゃないか」とすら思うこともある。

 

 

でもそうじゃない。そうじゃないらしい。らしいですよ奥さん。

 

 

周りにもそんなお客さんや友達が本当に腐るほど居る。

 

自分と同じように「脱した」とか「手放しつつある」ひとがたくさんいる。

 

 

その 「痛みを経ているひと」がもつエネルギーの澄んだ感じは

 

ちゃんと安心安全とか、信頼という言葉の重みを知っている。ほぼ間違いなく。

 

 

実はこの年齢、40代になった自分だからこその生き方だったり

 

仕事への向き合い方も、趣味ひとつひとつへの「重み」も変わって

 

既に深く張られた根っこありきで、どしっと構えて

 

綺麗な丸く広がる枝葉を伸ばすことに集中するのもいいのだろう。

 

たくさんの実をならせることよりも、数粒の至極の甘味をまとった実で

 

「この木はすごいぞ」と言わしめる方がきっと快感だろうから。

 

 

もう「量」とか「数字」を追い掛けることをすこし横に置いておいて

 

結果的に「そうなった」といえる「過程」と「仲間」を増やすことや

 

芯を・想いを太く強くすることに集中した生き方をする年齢になったに違いない。

 

 

自分は、ここに居るし、今までもここに居たし、何も変わっちゃいない。

 

 

でも変わったものがあるとすれば、それは目的や目標ではなく「手段」であって

 

変わったというよりは「幅が広がった(増えた)」が正しい言い方になると。

 

 

人生の行き先は決めている。

 

 

そうなるための自分が手段としての変化やツールをどんどんアップデートして

 

より早くそこにたどり着けるような手筈を整えることが、今の自分の課題であり

 

それに追随してくれる、あるいは共創に力を貸しあえる仲間や各方面のパートナーと

 

ちゃんと生きていく。ちゃんと働いていく。ちゃんとものをつくっていく。

 

そんな言葉にすれば当たり前なことを、ちゃんとしようという気持ち。

 

 

なんやかんやで今日もダラダラ似たようなこと書いてるけど

 

同じようなこと書いてるから、自分の想いに嘘ついてないことが再確認できるし

 

いつどの記事を見ても「なんかこういうやつなんだな」と理解してももらえる。

 

おかしかやつがやってるコーヒー豆屋なんだな!でも別にかまわない。(笑)

 

 

 

さっさと切り返して、次のコーナーを目指すこと。

 

 

40代はまだまだ修正が効くし、どっちにも走れる。

 

色んな年代のひとと関わらせてもらってるけれど

 

やっぱりご年配の方であっても「あきらめてない」んよ。

 

人生を、これからを、自分を。

 

 

輝いて見える、自分と比べちゃう、それはそれでいい。

 

今の自分をいちいち否定しさえしなければいい。

 

 

コーナーの侵入でミスった!と思ったって

 

立ち上がりでガバ開けてしまえばまだ取り戻せる。

 

 

何がとは言えないけど最近やたらめったら多いその

 

あらゆる「我慢」に縛られる生き方からは

 

切り離した自分を生きることを今年は意識する。

 

 

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ウチの招き猫は雲の上からどんな顔で俺のことをのぞき込んでいるんだろう。

 

 

先日の帰り道も途中で降りて、動物霊園に寄ったけどその日は「居なかった」

 

本当にお墓参りっつっても、その日お墓にねこが居たり居なかったりする。

 

 

ねこは気まぐれ。この部屋に居るのかもしれないしクルマに乗ってたのかも。

 

夜だけ動物霊園で"みんな"と仲良くやってるのかもしれないし。

 

 

招き猫(実態はもうないけど)がやたらと大活躍してくれるおかげで

 

俺は今日も事務仕事でまた2時だよ。毎日2時に寝てるおかげで

 

4時間でも寝すぎに感じるショートスリーパーになってしまった。

 

 

取引先は自分が値上げせざる得ないそのたびに減っていく。

 

でも、そのたびに新しい引き合いを頂いていて

 

ここ最近の「伏線回収劇」はもう自分の想定をはるかに超えたことばかり。

 

感謝しかない。感謝だけが、そこにはある。

 

全力で期待以上のことを・ものをお返ししたい。

 

 

とにかく今日は早く寝よう。

 

あぁ、えっと、ねこよ、遅くまで働かせてくれて・・・ありがとう? 笑 😼😼😼