NYにいると、この国の多様性に驚きます。
文明って、他の文明を受け入れなくなった時点で衰退していってる?日本史も世界史も苦手だったので、よく分かりませんが、ここにいるとなんかそんな気がしてきました。

いろんな人が混ざって一緒に何かをすることで、それが仕事であっても遊びであっても、みんながみんな同じ方向を向いていると気付かない部分に、気付くことができるんじゃないかなぁ。
がむしゃらに働く人もいればサボる人もいる。がんばるのが好きな人がいれば、ほどほどが好きな人がいる。楽しいのが好きな人も、苦しみながらがんばってる自分が好きな人もいる。
当然、共同作業をする上では、ある程度の規律は必要だけれども、それは、組織が組織であるための最低限の範囲に限ることが大切だと思う。
「結果がよければすべてよい」は理想だけど、実は過程が違うと結果もビミョウに違っていて、結果が出せているかどうかの判断は難しい。
やっぱり、結果は、それにかかった過程も合わせて総合的に評価すべきで、違うやり方で出してきた違う結果を、受け入れることができるかどうか。それが人を管理する人の懐の深さだと思う。

違うやり方には、悪いところもあるかも知れないけど、良いところもあるかも知れなくて、良いところが実は悪いところを充分に上回っているかも知れない。そう考える余裕を持って、「違い」を受け入れていきたい。

きっと、アメリカの強さは、「悪いところもあるけど、良いところもあるよね。試してみよう。」って、最初から「拒否しないことを前提」で組み立てられているような、そんな国民性にある気がする。

何かで読んで、そうだなぁ、と思ったことがある。
「外国人は日本に来ると、自分は日本人ではないと強く実感する」
僕は外国にいると、自分が日本人だと感じる。でも、日本に来る外国人が、「自分は○○人」じゃなくて「自分は日本人ではない」と感じているということ。
確かに、私たちが日本で外国の方を見るときは、外国人として見ている。そう、日本人か日本人じゃないか。
何も日本が多民族国家になれば良いと言っているわけではないし、そういう議論をここでする気はないけど、アメリカの多様性と、そういう意味での懐の深さについては、学ぶべきところがあるような、そんな気がした。

別に外国人じゃなくても、いわゆる「種類の違う」人たちはたくさんいるはず。年齢や職業や学歴や育った場所が違ったり。そんないろんな人たちと仲良くやっていける、お互いが心地良くいられる場所ややり方を見付けられる、そんな人間でいたいと思う。


そんなわけで、多様性は大切。
自分が常に成長するためにも、将来自分が誰かの上司になることがあったら、自分のやり方を押し通すようなそんな上司にはならないぞ、と心に誓っています。