昨日も今日も、さんざんに飲み食いしてしまいました。
昨日はイタリアン、今日は中華です。明日は肝臓とお腹を休めます、、、
さて、昨日と今日では、料理も違えば、会った人たちも全然違います。一方は、前職の同僚。今日は今の会社で知り合った、会社は違うけど同じ日本人ということで仲良くしてもらっている人たち。両方のグループとも日本人ばかり4、5人ずつでした。
①年齢が違う
一方は独身ばかり、年も30歳前。一方は僕よりもひとまわり上で全員結婚していて子供もいます。
②バックグラウンドが違う
一方は就職して最初の会社が外資系金融機関で、一人だけは現職が日本の会社ですが、NY駐在です。一方は全員ずーっと日本の金融機関。
当然、こんなメンバーなので、出てきた話題は全然違います。
両方が一堂に会したら、きっとかみ合わないだろうなぁ。
でも、ひとつだけ、共通して出てきた話題があります。日本とアメリカの会社の違いです。
簡単にまとめると、日本の会社は日和見主義で合理性がない、アメリカは合理的。日本の会社は人間味があるけど、アメリカはない。日本の経営者はリスク回避的で事なかれ主義だけど、アメリカは積極的にリスクを取る。そんな話です。
そこで、ちょっと自分なりに考えてみました。(どちらが良いとは言いません)
まず、よく言われていることですが、日本では、「中流」にあたる人たちの層がとても厚いのに対して、アメリカは比較的両極端になっています。
よく表しているのが、日用品。例えば、僕の大好きなチョコレートで考えてみても、日本だと、数百円で十分おいしいチョコレートが手に入ります。一方アメリカだと、おいしいチョコレートは手に入るけど、日常食べるような安いチョコレートはおいしくない。高級品は超高級で高品質だけど、一定の水準を下回ると一気に悪くなる感じ。なんだか階層を感じます。(全員に良い製品を届けるっていう、松下幸之助さんの話が有名ですよね)
日本では現金をお店以外で手渡しにすると言うことは、あまり良い習慣とはみなされなくて、ホテルでチップを渡すときでさえ千代紙に包んだりします。サービスする人たちに対しても敬意を払います。
こんなことをいろいろ混ぜつつ、僕なりに思いついたのは、日本には、みんなが仲間という意識があるんじゃないかと思うんです。
今更ですよね。では、もう少し細かく、、、
少し極端な話をします。アメリカは誰でもがんばれば大統領になることができます。一方日本では公務員の人がどんなにがんばっても、その省庁の大臣や首相にはなることはできないし、首相になっても天皇にはなることはできません。昔々に遡って、冠位十二階の制ができたときだって、どんなにがんばって最高位になったとしても、蘇我のなんとかや、天皇には勝てなかったわけです。
それって、封建制度をしいているかどうかの違いだと、考えることができないでしょうか。
日本の会社は人事や経理や総務が強大な権限を持っていますが、アメリカの会社は逆です。なんだか、封建制度が元になっているかどうかを基準に考えると、そういう違いまでが、僕にはとてもすっきり説明できたような気がしました。
要するに、天子や領主にあたる人や組織が全てを持っていて、その下で権限を分け与えてもらっている人たちは、仲良くがんばる、そんな構図かなぁ、と。
そうすると、下の人たちは仲良くしないといけないし、そもそも天から授かったお金を、仲間同士でやり取りするのは、「自分の方が上」ってことを誇示しているようで気が引けるとか。それと同時に、仲良くやっていた方が、当然天子や領主から褒められて上に行くことができる。そうなると、必然的にリスク回避的思考になってしまう。
一方アメリカでは、がんばった人は、がんばったから、上。それは当然の権利。さらにがんばることでトップを目指す。そのためにリスクも取る。一緒にやった仲間は仲間だから大切にするし、感謝するけど、天子や領主に当たる人に何かを与えてもらっているというわけではない。そんな意識があるのかなぁ。
そういう風に考えると、日米の会社の違いは、根底に流れているモノが違うから起きているモノのような気がしてきました。少しずつ変化はありますが。
敢えて極端な話も展開しましたので、矛盾や偏見だとの指摘もあるかも知れませんが、ひとまずここまでが、今日感じて考えたことでした。(ちょっとまだちゃんとまとまっていないので、変わるかも知れません)
あ、そうそう、なにはともあれ、やっぱり僕には外資の会社が合ってるみたい。働くと言うことに対する意識に同調できるという意味で。これは単に好き嫌い。良い悪いではありません。
そして、一方で日本的な控えめな、他人をあくまで尊重する文化は大好きです。
できればそんな、両方の良いところを取り入れて生きていきたいなぁ、なんて思いました。
そして、昨日も今日も、大勢でワイワイ楽しかったです。
昨日はイタリアン、今日は中華です。明日は肝臓とお腹を休めます、、、
さて、昨日と今日では、料理も違えば、会った人たちも全然違います。一方は、前職の同僚。今日は今の会社で知り合った、会社は違うけど同じ日本人ということで仲良くしてもらっている人たち。両方のグループとも日本人ばかり4、5人ずつでした。
①年齢が違う
一方は独身ばかり、年も30歳前。一方は僕よりもひとまわり上で全員結婚していて子供もいます。
②バックグラウンドが違う
一方は就職して最初の会社が外資系金融機関で、一人だけは現職が日本の会社ですが、NY駐在です。一方は全員ずーっと日本の金融機関。
当然、こんなメンバーなので、出てきた話題は全然違います。
両方が一堂に会したら、きっとかみ合わないだろうなぁ。
でも、ひとつだけ、共通して出てきた話題があります。日本とアメリカの会社の違いです。
簡単にまとめると、日本の会社は日和見主義で合理性がない、アメリカは合理的。日本の会社は人間味があるけど、アメリカはない。日本の経営者はリスク回避的で事なかれ主義だけど、アメリカは積極的にリスクを取る。そんな話です。
そこで、ちょっと自分なりに考えてみました。(どちらが良いとは言いません)
まず、よく言われていることですが、日本では、「中流」にあたる人たちの層がとても厚いのに対して、アメリカは比較的両極端になっています。
よく表しているのが、日用品。例えば、僕の大好きなチョコレートで考えてみても、日本だと、数百円で十分おいしいチョコレートが手に入ります。一方アメリカだと、おいしいチョコレートは手に入るけど、日常食べるような安いチョコレートはおいしくない。高級品は超高級で高品質だけど、一定の水準を下回ると一気に悪くなる感じ。なんだか階層を感じます。(全員に良い製品を届けるっていう、松下幸之助さんの話が有名ですよね)
日本では現金をお店以外で手渡しにすると言うことは、あまり良い習慣とはみなされなくて、ホテルでチップを渡すときでさえ千代紙に包んだりします。サービスする人たちに対しても敬意を払います。
こんなことをいろいろ混ぜつつ、僕なりに思いついたのは、日本には、みんなが仲間という意識があるんじゃないかと思うんです。
今更ですよね。では、もう少し細かく、、、
少し極端な話をします。アメリカは誰でもがんばれば大統領になることができます。一方日本では公務員の人がどんなにがんばっても、その省庁の大臣や首相にはなることはできないし、首相になっても天皇にはなることはできません。昔々に遡って、冠位十二階の制ができたときだって、どんなにがんばって最高位になったとしても、蘇我のなんとかや、天皇には勝てなかったわけです。
それって、封建制度をしいているかどうかの違いだと、考えることができないでしょうか。
日本の会社は人事や経理や総務が強大な権限を持っていますが、アメリカの会社は逆です。なんだか、封建制度が元になっているかどうかを基準に考えると、そういう違いまでが、僕にはとてもすっきり説明できたような気がしました。
要するに、天子や領主にあたる人や組織が全てを持っていて、その下で権限を分け与えてもらっている人たちは、仲良くがんばる、そんな構図かなぁ、と。
そうすると、下の人たちは仲良くしないといけないし、そもそも天から授かったお金を、仲間同士でやり取りするのは、「自分の方が上」ってことを誇示しているようで気が引けるとか。それと同時に、仲良くやっていた方が、当然天子や領主から褒められて上に行くことができる。そうなると、必然的にリスク回避的思考になってしまう。
一方アメリカでは、がんばった人は、がんばったから、上。それは当然の権利。さらにがんばることでトップを目指す。そのためにリスクも取る。一緒にやった仲間は仲間だから大切にするし、感謝するけど、天子や領主に当たる人に何かを与えてもらっているというわけではない。そんな意識があるのかなぁ。
そういう風に考えると、日米の会社の違いは、根底に流れているモノが違うから起きているモノのような気がしてきました。少しずつ変化はありますが。
敢えて極端な話も展開しましたので、矛盾や偏見だとの指摘もあるかも知れませんが、ひとまずここまでが、今日感じて考えたことでした。(ちょっとまだちゃんとまとまっていないので、変わるかも知れません)
あ、そうそう、なにはともあれ、やっぱり僕には外資の会社が合ってるみたい。働くと言うことに対する意識に同調できるという意味で。これは単に好き嫌い。良い悪いではありません。
そして、一方で日本的な控えめな、他人をあくまで尊重する文化は大好きです。
できればそんな、両方の良いところを取り入れて生きていきたいなぁ、なんて思いました。
そして、昨日も今日も、大勢でワイワイ楽しかったです。