ゆう@子育てパパ

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高台のプレハブ校舎では社会科の授業が行われていた。東京電力福島第1原発事故で福島県いわき市へ移転した楢(なら)葉(は)町立北・南小。5年生の16人が、水田農業試験場の役割について耳を傾けている。
「何をするところだと思う?」との女性教諭の問いかけに、男児が答えた。
「田んぼを除染するところ」
放射性物質にかかわる専門用語が当たり前に使われる日常に、福島の子供たちを取り巻く現実が垣間見える。
楢葉町には小学校2校、中学校1校があるが、原発事故で1年間休校した。その間、子供たちはいわき市など避難先の最寄りの小中学校へ「区域外就学」などの形で通った。
昨年4月、小中学校はいわき市のビル保守会社の建物を借りて再開し、3学期から仮設校舎へ移った。原発事故前に2つの小学校で計428人いた児童は現在93人。残りの大半は区域外就学などを続ける。
北・南小の児童も、いわき市全域からスクールバスで通ってくる。北小の矢内秀行教頭(54)は「他の学校へ通う児童には、学校へなじめず不登校になったり、うちへ転校してきたりする子供もいる」と話す。
■友達増やしたい
いわき市から山道を車で1時間ほどの場所にある川内村では、住宅の放射性物質の除染が100%完了した。村立川内小では、1年生7人が生活科の「むしをさがそう」という授業に取り組んでいた。太陽電池式の放射線量計が置かれた広い校庭で、三(さん)瓶(ぺい)友也君(7)は「あ、トンボ!」と声を上げ、走り回る。
村は原発事故の直後に全村避難し、1カ月後、郡山市の小中学校に間借りして学校を再開した。昨年4月に「戻れる人から戻ろう」と役場や診療所が帰還したのに伴い、本来の校舎へ戻った。
児童は原発事故前の114人に対し現在24人。昨年度の16人から8人増えた。
塙(はなわ)広治校長(49)は「子供たちは本当に伸び伸びしている。表情で分かる。村に仕事や高校がないなど、生活の不安から戻りたくても戻れない家庭が多い一方、子供たちの『戻りたい』という声で帰還を決める家族もいる」と話す。
三瓶君は埼玉県の親類宅、郡山市の大規模避難所、借り上げ住宅…と避難先を転々とし、昨年4月、家族と村へ戻った。
「いっぱい友達がいるから、帰れてうれしかった。学校も楽しい。もっと友達が増えたらいいのに」
■私は帰りたくない
いわき市の仮設校舎で授業を続ける楢葉町は、町の大半が「避難指示解除準備区域」に指定されている。除染も住宅の51%、農地の68%が完了するなど、川内村に次いで帰還へ向けた準備が進む自治体の一つだ。
町が「学校の帰還」の時期として掲げた目標は、平成27年4月。3年生の石井春(さく)華(ら)さん(9)は5年生になっている。
だが、彼女は「私は帰りたくない。だって、楢葉は汚染されているし、もういわきに慣れちゃったんだもの」。一方で、いわき市の市立小へ区域外就学する同級生、草野真(み)優(ゆう)さん(8)は「お母さんもお父さんも楢葉へ帰ると言っている。戻りたい」と訴えた。
「楢葉は緑がいっぱいあるから。それに、もう除染したし!」
環境省は今月10日、国が直轄で行う福島県内の7市町村の除染について、当初の計画だった来年3月までの完了を断念した。新たな完了時期も示せなかった。除染が見通せなければ、帰還計画は立てられない。子供たちは帰れない。たくさんの小さな瞳が「除染」の行方を見つめている。
◆避難区域の小中学校 福島県教委によると、東京電力福島第1原発事故により避難指示区域が設けられた11市町村のうち、双葉、浪江両町の7小学校と3中学校は今も休校中。南相馬、田村両市、浪江、大熊、富岡、楢葉、川俣各町、飯舘、葛尾両村の計9市町村の18小学校と10中学校は、役場機能を移した自治体などにある間借り校舎や再活用した廃校、仮設校舎に移転している。
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