自分の気持ちを整理するための記事です。

あまり不妊治療については書いていないのと、感情的でネガティブな内容も含まれますので、お気持ちが敏感になっている方などはどうぞご注意の上、引き返していただけましたら幸いです。

そして、できましたらまたの機会に恵まれますことを祈っています。ぜひまた、お会いしましょう!

 

 

   

 

ここまで何度か記事を書いたものの、なんだか最後の勢いがなく投稿できずにいました。

もしかしたらそれらはこの先気が向いたら書き直して投稿するかもしれませんが、とりあえず現状について書いてみたいと思います。

 

はなはだ遺憾で誠に不本意ながら、20wを目前にせっかく授かった第一子を妊娠中断せざるを得なくなったのが2月の末。そこから産後毎週行われた検診が終わり、中途半端に?産科の大学病院を追い出されて?から、不妊治療とMPAをやっていた大学病院にすんなり戻ることができました。胎盤遺残やら再度妊娠許可を取るためのフォローアップ(子宮内膜異型増殖症の既往のため、定期的な検査が必要)やらが待っていました。

MRIや子宮鏡と子宮頸&体がん検査、それと並行して不妊治療となりましたが、前回の妊娠までに凍結胚を使い果たしていたため、採卵からのゼロスタート。

結果的にはなんとか胚盤胞を凍結できました。

 

そして現在、移植周期に入っています。

もうすぐ移植の予定です。

やっと……ここまで来ました。

すんなりとは行かず、コツコツ、少しずつの前進となりました。

その間に死産した息子の、本来の出産予定日も過ぎました。

自分の中でも、山や谷をやり過ごしてきたと思います。

 

悔しくて悲しくてただただ涙が出てきて

(以下なまなましく感情的すぎるのでちょっと読みにくく自粛しています)

 

キエーーーーー!!!!もうもうもうもう!!!はああああ?ナニソレ。やってらんねーよ!!!!!!普通にセックスしてて「あれ、そういえば生理ないかも」なんて世界線の人に憧れないわけないわ!!!不妊治療の前に子宮体がんの影をあらゆる不調やデブ記録更新と引き換えに押しやったし、股も財布も惜しみなく文句も言わず言われるがままにガバガバ開いてきたわ!!!採卵移植陰性移植陰性採卵移植陰性移植流産移植。計9つの胚を移植して、ようやくどうにかきたのに!!!!つわりも鍼灸も漢方も安産祈願もNIPTも葉酸もDHAも骨盤ベルトも本当無駄無駄無駄!!!残ったのは単なるデブ!!!抜け毛!!!胎盤遺残!!!黒ずみバストトップ!!!ハイもうおしまい!!!!ハハッ!!!!!!!

 

みたいな気持ちになることも、まああるのですが。

泣きながら飛び起きたり、泣きながら眠ったりすることもなくなってはいないし、毎日息子の遺骨に手を合わせながら、なぜ、どうして、と思う気持ちは消えません。

私の痛みは私のもの。仕方がない。否定はしない。

それを感じることが悪いとも思わない。

自己憐憫だろうが、悲劇のヒロインだろうが、どう思われても、私は私を受容したい。

 

私は息子によって、短期間ながらも母にさせてもらった身、その分強くもなったと思います。

都合上「『第一子』不妊治療中」ではあるけれど、紛れもなく私の第一子は、あのオットの寝顔そのものの、オットにしか似ていない彼。肺もまだ完成していない産声のないお産、彼を産み出す代わりに、苦しみをギュッと固めて無理矢理に飲み込むような、お産の陣痛の鮮烈さと比べたら、痛みも苦しみも大抵のものは色褪せて麻痺させることができる。そして、お産そのもの以上にえげつない後産にうめきつつ、初めて息子と会った時に「ありがとう、やっと会えたね」と思わず口から出た言葉があれば、まだ頑張れる気がするのです。

あんなにボロボロになってでも踏ん張れたんだから、ここまで来れたんだから、まだまだいけるだろう。

 

幸せオーラいっぱいの夫婦に混ざって、どんよりと悪露を垂れ流しながら、涙目で空っぽなお腹を抱えて産科検診を持つことも、大きさがどうのとか性別がどうのとキャッキャしてる診察室の隣の診察室で、胎盤遺残だ子宮復古が悪いだのと言われ太ももがプルプルするまで股を開き続けていたことも、薬局で子宮収縮剤を出されて「妊娠はなくなったということですね?」と笑顔&大きな声で薬剤師に言われ「妊婦・妊娠の可能性がある方の服用禁止」と赤字でシートに書かれている薬を毎日飲むことになっても、息子の出産予定日間近に不妊治療のために通院中、退院していく新生児とすれ違うことも、同じ時期に妊娠した芸能人の出産のニュースも、心はヒリヒリするとしても、心がギュッとなるとしても、それはあくまで副産物のようなもの。でもまあ、頑張ってよく乗り切ってくれた(乗り越えはできないから、静かに受け流した)と思う。過去の自分に。バトンは受け取った。今の自分の役目はなんだろう。

 

きっと息子は生きて生まれるつもりだったはずだし、私も大事にお腹で育てているつもりで、でもできなかった。繋がっているはずの未来は、知らず知らずのうちに少しずつ擦り切れていて、とうとう切れてしまったし、そもそも臍の緒まで臍帯炎だったのでした……

歯周病対策のために移植直前に歯科でクリーニングもした。コンクールFも毎日使った。セックスももちろんしていないし、妊娠中膣に入ったものといえば内診の器具かエコーくらい。妊娠前から毎日、ビオスリーもラクトバチルスも飲み続けていた。妊娠中黄色いオリモノなどもなし、臭いも気にならず、体温上昇もお腹の張りもなし。切迫で入院した時の血液検査も膣分泌の培養検査も感染所見なし。

なのに絨毛膜羊膜炎の3度……

 

それは不幸な事故といえばそうだと思うし、防げたのかといえば無理だったのだろうとも思われます。今度こそと確かに掴んだはずの未来は、オロオロしているうちにあっけなく指から滑り落ち、かけがえのないものを結果的に殺めてしまった。彼をまだ早すぎる段階でこの世界へ引きずり出した。「仕方ないこと」では決してない。このよく分からないジレンマをずっと抱えながら生きるしかしない、出口のなさ。私は、この不幸そのものは決して許さないでしょう。

出産直後、私はあなたをこんな形で見送ることになったのに、またお母さんになることを望んでもいいのかな、と息子に聞きました。息子はもちろん何も答えはくれないけれど、多分それを聞いている時点で、私はこの不幸が存在する世の中を許せないのに受け入れて、生きていく必要があることに気づき、覚悟を決めました。私に罪があっても、それを重ねることになったとしても、それは未来の自分に託す。私は今、未来にバトンを渡そうと決めました。繋げる限り。

 

まだできることがあって、とりあえず私は自分をいたわることから始めました。

最短で復活するために、私が一番の、私の味方になることに決めました。

ネットスーパーで買い物をして、刺激を受けないよう誰にも会わず、ただ眠って、刺繍をして、何かを食べて、猫と引きこもって過ごして。オットは、私に「急いで回復しなくてもいい」「元気になろうとしなくてもいい」とずっと見守ってくれていました。自分は息子の火葬の次の日からとっとと仕事を開始して通常の生活に戻って行きましたが、私の痛みを肯定して、私の苦しみを否定はしませんでした。絶対に無理をするなと言ってくれて、私の発作のような号泣に対し、何も言わず肩や背中を撫でてくれました。

 

そうしてだいぶ復活してきた時、ふと顔を上げると、鏡に映る見苦しい二重顎が。

不妊治療もすぐには進められない分、まずは減量でもしよう、体のコンディションを整えよう、と思いました。今までダイエットは、断食みたいにガッと減らして満足。気を抜くとガッと増えるようなやり方しかしてこなかったけれど、コツコツ、毎日続けられる範囲で、ただチリを積らせ、成果に一喜一憂しないようにしていると、結果的に今回の妊娠前よりも減らすことができました。

そうこうしているうちに、不妊治療に戻ることができたし、医学的にも妊娠が許可されたし、ここまでなんとか加療に呼応して、子宮も卵巣も、もう一度頑張ってくれたので、移植まで漕ぎ着けることができました。

今回も前回同様、セキソビット→ゴナFで卵胞育てる→排卵誘発→移植、という排卵周期での移植でしたが、排卵後内膜が薄くなりすぎてしまったので、今になってホルモン補充をしております。

 

久しぶりだね、エストラーナ。

初めまして、ルテウム…。

え、ちょっと、ウトロに比べてカスの量がハンパないんですが。これで合ってる?ちゃんと入ってるの?ほぼ出てない?大丈夫?

 

美人主治医が「ルテウムはカスが多いかも。ナプキンだとショーツがダメになると思うので、尿漏れパットがおすすめです」と言っていたのはこれか!!(主治医信者なので黙って尿漏れパット買って帰りました。尿漏れパット高いよね。ちなみに「はだおもい」もいいらしいので試してみたい。)

 

私の中の子宮も卵巣も、引退してもおかしくない年齢まで酷使されつつ文句も言わずただまっすぐ向き合ってくれていて、私は少なくとも、あなたたちのことは誇りに思っていきたい。大切な私たちの息子を育んでくれたのはあなたたち。

そして私のお腹に宿ってくれて、あんなに可愛く育ってくれて、卵膜に包まれたあんよが膣にはみ出したりしながらも、私が入院するまでは破水を我慢してくれて、破水後も誘発剤を使う最後までしがみついてくれた息子に対し最大の敬愛を持ちつつ、移植に向かおうと思います。

浄土の父にはあれこれ頼みすぎて、困ってるかもしれないけど。息子を守ってもらうこと、そして、これからも見守ってもらいたい所存です。へへ。