あの日、あの一瞬の時間から、私の中でクルリと変わってしまって、今はそれが新しい自分のスタンダードのようになってしまった。

予約外受診で病院に向かう間、待合室で受信の順番を待っている間、あの時からひと月が経った。

記憶は薄れてしまっているけれど、「嫌だ嫌だ」と何度も心で繰り返しながらも、どこか諦めている自分もいて、なんとなく、信じたくないものを受け止めざるを得ないような、大きな何らかのうねりがあった気がする。

 

世の中には悲しい出来事がたくさんあって、信じられないくらい、自分の想像を超える辛いことや、どうしても納得できない理不尽なこともまあまあ、ある。今も思い出して腹が立ったり、「ワー!!」とやみくもに声を上げ、ダメダメ!違うことを考えなければ!!と速やかに頭の中を切り替えたくなるような、心の奥の、触れるな危険な出来事たち。

 

もちろん、日々の中にはそんな辛いことばかりがあるのではなくて、素敵だなと思ったり、嬉しいな、楽しいな、と感じる時間も、ある。

例えば体調がいつもよりも良くて、目覚めが良くて、鏡を見た時にいつもよりも顎のラインがシュッと見えたりなんかして(ほぼ気のせい)、お化粧や髪型もいつもよりも一発でいい感じに決まって、外に出てみたら天気も良くて、風が心地よいな、と思える時などは、それだけで鼻歌を歌うほど機嫌が良くなったりする。

あとは、お腹が空いてきたタイミングや食べたいものがオット氏とカブって、いいねいいねと外食に出かける時(しかも給料日後とか)、うちのネッコが「ウニャッ」とかなんとか言いながら、可愛らしくもふてぶてしく、膝の上に半ば強引に乗ってきた時など。なんだか幸せが飽和する音が聞こえてきそうな気持ちにさえ、なる。日常的にはありふれた出来事だとしても、そういう小さな積み重ねが、確かに辛いことと向き合うための原動力にもなる。

 

今回、私の体に高度生殖医療のもとでどうにか妊娠が成立し、初期流産のリスクやNIPTを乗り越え、つわりをなんとなくヨイコラやり過ごして、安定期と言われる時期まで継続していたことは、紛れもない自分に起きていたこと。頻尿で夜中に何度もトイレに行くことが当たり前になって、少し体を動かすだけでも息も上がるようになった。それは自分でも分かる。そして、私のお腹は、少しずつ確実に脂肪だけではない何かで大きくなっていて、胎動も少しずつ感じられるようになってきて、「何かがいる(いてくれる)」ということが体を通しても分かるようになってきたところだった。

 

ふと、大昔読んだ本で、自分が妊娠したものが得体の知れないナニかなのではと病んでいく妊婦の話があったと思い出した。誰よりも自分のそば(むしろ中)にいる存在なのに、姿は全く見えないというのは不思議なもの。エンジェルサウンズで私とナニか、2つのハートビートが同時に聞こえていることは奇跡体験だった。私は猫が好きすぎるから案外お腹から猫みたいな何かが出てきちゃったりするのかも、とかほんの少しではあるけれど結構本気で思ったりもしながら、どちらにしてもあのフワフワとしたどこか現実感のない多幸感は体感したことのないものだった。多少の嫌なことや理不尽、運の悪さ、いつもなら気持ちを引っ張られてしまうようなショックなことでも、ある程度受け流せるくらい、自分の中での満たされた気持ちがあった。

 

それでも、私の中には、それを上回るほどの「大丈夫だろうか」という不安が常にずっとたゆたっていた。

例えば、好きすぎて、彼の気持ちが自分から離れるのが怖い、みたいな、ちょっと拗れた恋愛感情のような。そういう恋愛って、そのうち自分の手で壊しちゃったりするからな。などとぼんやりと思う。

恋愛においては、相手からいかに愛されるかよりも、自分がいかに愛すかが大切なのだと思うし、未来の悲しい別れを前提にして今の幸せを損ねてしまうことはあまりにもったいない。そして、現状を大切にするならば、今の幸せをきちんと信じること、だったりすると思う、というところまでは、さすがにある程度の人生経験を積んで身をもって学んできた。ものの。楽しい旅行の終わりだって、最後まで楽しまなきゃ勿体無い。その時間はもう戻ってこないのだから。でも、必死だと、どうにも頭で分かっていても心はブンブン振り回されてしまいがちなのも、仕方がないのだろう。

 

そう考えると、それなりに遠回りしてきたせいで、人よりも色々なものが遅すぎる今の自分の、今までの生き方全てに明確な後悔があるわけでもないわけでもないけれど、せめてせっかく一生のうちにそう何度もない、恵まれし奇跡の己がマタニティライフくらいは拗らせないでいこうぜ、と今なら思う。

若さはない、でも引き換えに手に入れているものがあるじゃない。リスクはある、でもその分の積み上げてきたものがあるじゃない。介護保険料も納めてる年齢になってる、私にはさ。


今なら、というか、やっとそう思えるくらいには、心が回復してきたのだろう。

涙を流す日や時間は明らかに減ってきて、心の中の慢性的な痛みが少しずつ鈍痛になってきた。

ここからが、きっとすごく長い時間になる。

 

今回緊急入院になり、医師には出産までは退院は無理、と言われていた。正産期まではどう前向きに考えても持ちそうはないけれど、せめてNICUに入れられる週数まで…と希望を繋ぎ長期戦が予想された一方で、ただ慌てて受診に来て、そのまま入院してしまったためになんの用意もできなかったことから、とにかく1時間でもいいから一度家に帰りたい、という気持ちがあった。退院が怖い。それは最終宣告の時だけだ。しかし、退院はしたい。これがジレンマか。

時は2月下旬に差し掛かる時。「もし、もし、このまま退院できなければ(しないで済んだら)、確定申告(私は自営業で税理士は入れておらず全て弥生頼みの弥生信者、オット氏はサラリーマンだけどふるさと納税と医療費控除があり毎年完全に私任せ)はどうすれば…!!」と打ち震えてもいた。骨盤高位の絶対安静中にスマホでモゾモゾ調べたところ、緊急の入院などで致し方ない場合の延長措置があるらしいことを知って胸を撫で下ろしつつ、結局はそんな心配は無駄となり、不幸中の幸いにも私の分とオットの分、期限内に滞りなく手続きできてしまった。トホホ。そして、医療費控除の計算をしながら、息子を授かった移植は自費診療だったこともあって、思ったよりもえげつない金額がかかっていたことなども振り返ってみたり。

ヤッタネ…還付金で採卵またデキルネ…採卵か…その前にお馴染みのがん検査だね……いやそもそも胎盤遺残で産科すら卒業できてないけど……空っぽのお腹で妊婦に囲まれる苦行たるや。

 

そうだ。紛れもなく己がお腹に子どもを授かった、という事実は、自分の中でどこか現実味が欠けるくらい、本当に嬉しすぎて。その分不安が大きすぎて。どう受け止めていいのか分からないまま、そして、それをどうオット氏と共有して良いのかも分からないまま、そのままふんわりと消えてしまった。いや、待って待って、そうじゃないんだよ…大切すぎて、どう受け止めていいのか、分からなかったんだよ……。

 

マタニティマークすら、堂々とつけられなかったこと。エンジェルサウンズを買うかどうか悩んで、結局レンタルで借りて、ドキドキしながら毎日心音を探して聞いたこと。周りに妊婦の知り合いがおらず、心細かったけれど誰にも言えなくて、旧Twitterで妊婦アカを作ってはみたものの、結局ほとんど旧Twitter自体を開かなかったこと。家族と仲の良い友達にだけ、安定期が過ぎてからそっと打ち明けたりしたこと。(なんだか、勇気がいる告白のような気持ちだった。)そして、おめでとうと言われると嬉しいけどとても荷が重く感じられたこと。

 

「妊婦健診がすごくあっさり終わるから、心配なんだよね」と顔を曇らせる私に、「順調だからに決まってるじゃん!」と二児の母の親友は笑った。医者に任せておけば平気だよ、と三児の母の実母は励ましてくれた。「年齢が年齢だからね、大丈夫なのかなとか」とさらに続ける私に「いやー最近は多いよね」とか、「うちの会社の人も、◯歳で産休取ってるよ!」などと耳障りの良い言葉をもらえた。結果的には、不妊治療でやっと授かったから、心配なのは分かるけどね、大丈夫だよ、と何度も言ってもらって、そういうものかな、そうだよな、不安がってるのもウザいよな、と気を取り直したこと。

私は仮にまた授かることができたとしても、次はもう、オット氏以外の誰にも言えないと思う。多分、親にすら、おそらくもう生まれる、という時まで言えない。

 

体外受精で悪戦苦闘してやっと卒業したと思ったら、今度は妊娠糖尿病の宣告でいきなりのインスリンと血糖値測定が始まって、日々、血糖値との戦いが目の前にあって、そればかりにかまけてしまっていた、というのも。このおかげで、16wの健診時まで体重はほぼ変わらなかった。19wの入院時はなんなら妊娠前より減っていた。そんなに何か頑張ろうとしないで、もっとたくさんお腹に話しかけて、もっと好きなものを適度に食べて、ゆったりその時間を過ごせば良かった。経過は順調と言われていたから、運動しなければと毎日一日一万歩歩いて、せっせと母子の健康に気を遣った健康的な食生活を送り、出産したらできなくなることを片付けていた。そんなことよりじっとして、のんびりしていた方が良かった。血糖値なんかより、子宮頸管の長さに意識を向けるべきだったのだな、と、その日々が失ってしまってから思う。

 

私に大きな彩りと喜びをくれた息子。分娩室でまだ横になったまま両手で抱っこして、思ったよりもずっしりと重たくて、ひんやりと冷たかった。「やっと会えたね」と思ったら、言葉もなく涙が出てきた。

エコーで最後に見た16wの彼は、なんだか随分と人らしい形になっていて、「人ですね」と思わず呟いて、当たり前でしょう、と医師に笑われたことを思い出す。そんなことより「子宮頸管の長さは?」と聞けばよかったのにな。それから3週間後の彼は、私と繋がっていた臍の緒が切られ、人の形というに留まらず、思っていたよりもずっとずっと、私たちの子ども、の、姿をしていた。

 

ちなみにその臍の緒が奏でていた臍帯音は、エンジェルサウンズでいつもすぐに心音よりも先にシュンシュンと元気に存在を主張してくれていた。が、胎盤検査の結果、レベル3の感染をしていたらしい。あんなにシュンシュン息子氏に血流を送っていたのだから、息子氏も感染してしまっていただろうか。それは今はもう分からない。でも、そもそも、どこかでもっと早く、手遅れになる前に、子宮頸管無力症が分からなかったのか。いや、きっと問題がない所見だったからこそ、秒で終わるような検診だったのだろう、と思うしかないけれど。

 

結果的には、むしろ、もっと貪欲にいた方が良かったのだ。

高齢だろうがハイリスク妊婦だろうが、それがどうした、お腹にもう来てくれてんだよ、ビビってんじゃねーぞ、この手で我が子を抱いて、死ぬ気で成長を見守っていく、オウやってやんよ、というくらいの気持ちの勢いがあった方が良かったのかなとは、思う。本来は安定期以降どころか、妊娠したら出産できる人の方が多いのだから、無理矢理にでも多数派に食い込む意気込みを持てばいいのに。私が悪い方の確率のレアケースを引くことならともかく、ああ、なんでうちの息子まで巻き込まなければならなかったのかな。

だから、もっと元気になったら、もう一度不妊治療をしたい。あの子が戻ってきてくれる、は、残念ながらもうないけれど、きっとあの子との短い日々には不安だけがあったわけでは決してない、し、あの子がくれたものを悲しいものだけにはしたくない。

あなたは私の光。胚盤胞の時からずっとずっと、光だったよ。お母さんにしてくれて本当にありがとう。そして、ごめんね。

 

私がよく散歩の休憩と仕事がてらに立ち寄ったファミレスには、今はまだ一人では行けなくなってしまった。散歩の途中、いつかオットと来ようと思っていたベビー用品売り場は、オットが息子の棺に入れるためのおもちゃを買いに来た場所になってしまった。

まだあの日々を良い思い出と思えるほどには回復していないけれど、これだけ恵まれていたら私はもう何もいらない、と思うくらい幸せだったあの日々があったからこそ、私は今本当に辛いのだと思う。私が、母親にしてもらえたからこそ、大切に思っていたからこそ、この喪失が辛いのだ。仕方のないことなのだ、と思う。この痛みは仕方のないものだと、思うしかない。

 

これを書いていたら、ネッコが私の隣に来て、くるりと丸くなって眠ってしまった。寝ているところに触ったら驚かせてしまうかな、と思いつつ、そっと指先で触れると、それが来ることを知っていたかのように、受け入れる体勢になり、もっと撫でれと言わんばかりのポーズで、手に顎を乗せてくれる。ふんわりしっとりした感触に、可愛いなあ、とちょっとだけ心があったかくなる感覚を覚えて。うん、大丈夫。もう少し時間がかかるけれど、私は大丈夫、と思えた。猫がいてくれるし、息子が一緒にいてくれた幸せだった時間があるから。私は大丈夫。すごく逆説的だけど、あなたがいて幸せだったから辛い、でも幸せだったから、大丈夫。今は全然ダメだけど。きっと大丈夫。