前回で胎嚢確認までは書きましたが、今回は心拍確認から、不妊治療を卒業するまでの記事です。

 

日々がヒヤヒヤ、かつ、受診のために仕事の調整でてんやわんやしていたため、さらに細かくメモを書いている余力すらなかった…ので、断片的に経過を書いていきたいと思います。

 

6w5dの受診日。前回同様お祈りのポーズと共に画面を睨みつけると、胎嚢の中に卵黄嚢のような何かがいました。「あ、赤ちゃんいますよ」「心臓も動いてますね。ここ、チカチカしてるの分かりますか?」と言われるも、分かるような、分からないような。

いや、もう先生が見えてるならもうそれでいいです(主治医盲信者)、と思っていたら、心臓のところに何やらカーソルを合わせると、なんと音まで聞かせていただけるではないですか!

ギュッギュッギュッギュ「いいですね〜」あっさりと心拍確認。

全然安心できないけど、またも足パカの状態でヘナヘナする私。

 

7w6dの受診日。この日は前回よりも大きくなっていればOK、と言う日でした。いつものお祈りポーズ&足パカで瞬きもせず画面を見ていると、何やらお豆のようなものが。心拍は140。うちの猫様より早い。血流ドップラー?で心臓に血が送られていることも確認。ヘナヘナ。この日に「ここは9wで卒業になりますね」とか、「産院はどうしますか?」などといった話に。

いやいや、頭がついていかない。

本当はこのまま病院の産科で産みたいけれど、今の住まいからは現実的に距離が厳しいので(オット氏はもはやウィークリーマンションでも借りるか、と言い出したけど)近所の大学病院の名前を出す。NICUもあるし、高リスクな私的には無難なのかなと思うことを伝えると、「うん、内科もあるし、いいと思います」と主治医。

あなたと離れたくないですが…。「ここで産みたいんですけどね」と言うと、「ね、本当に」とかぶせ気味に言ってくださって頷き「残念です」と眉をハの字にする美人。

ああ、好き。

「今、ちょっとカールみたいな形してますけど、次くらいは頭と体で分かれた姿が見られるかもです」カール!確かに。たくさんのエコー写真と、カールの写った4Dも貰いました。

経過を聞いたオット氏は「ん?9週で卒業なら、次もう卒業?」と言っていましたが、私としてもそれを危惧していて、まだまだ心配すぎるので、しれっと次回の受診日も8wの最終日にして、仮に卒業を促されたら「まだ8wです!」と主張する予定。

 

8w6dの受診日。クリオネか小さな突起のついた落花生のような何かが胎嚢の中にいました。心拍は170で順調とのこと。そんなにバクバクしてて生き急いでいるようでちょっと心配ですが、これが普通とのこと。「あ、ふふ、今おてて動かしてましたね。」「え?」「あ、止めちゃったか…」4Dも見せていただきましたが、角度が悪く良く分からず。「うーん、次回また見てみましょう」と言っていただけて、「次もある!」と安堵する私。卒業したくない。

卒業不安。毎日エコーが見たい。

 

また、大きさはやっと週数相当に追いついたご様子。今までは大きさについての言及が全くなかったのに、この日は初めて「エコーのここの数字、8w6dってありますよね、ちょうど大きさ的にも今の週数ですよね」と教えてくださったところから、今までは小さかったからあえて言わなかったのかもしれない、と感じました。

 

産院の予約について聞くと、「大学病院なので大丈夫かなと思いますが、もうしたほうがいいかも。決して早くはないです」と予定日をカラオケのDAMのデンモクのような機械でぽちぽちと算出していただきました。移植日から算出していた通りの日付。先生が書いてくださったポストイットは、サインをもらったファンのように大切にします…。次回、紹介状をいただけるとのこと。卒業は不安しかない。

 

9w6dの受診日。クリオネが更にお人形のような形に。「正面を向いてますね」と言われると、確かに突起が両方に。「ここに足もありますよ」と4Dを見るとピヨっと触覚のようなものが。心拍180。「え、ヤバくないですか」「今がマックスくらいですね。むしろ、少ないほうが心配なので、いい感じですよ。最後なので、少し丁寧に周りも見ますね」

…最後!!うわあ…

結構長い間、丁寧に経膣エコーして頂いていましたが、これだけ婦人科の検査全般イヤイヤな私が、違和感ひとつなく我慢できているのは、先生がとても丁寧だから……。

転院するんだ、これを当たり前だと思っちゃいけない…。

 

妊娠届を書いていただき、「紹介状に書いたほうがいいこと、他にありますか?」など丁寧に聞いてくださる主治医。好き。

 

ご挨拶をして診察室を出る時になって、とうとう涙が溢れてきてしまい。

たくさん言いたいこと、伝えておきたいことがあったのに、上手く言葉が出ませんでした。一度も主治医に不快な思いをさせられたこともなく(婦人科においてすごいことだと思う)治療自体は辛くないといったら嘘になるけど、この先生に見てもらえたからこそ(距離こそ遠いけれど)精神的な負担を最小限の状態で続けられたのは間違いない。

 

本当に私は運のいい患者だったと思います。

それは成果の有無に関係なく、本当に運やら縁に恵まれたことだったと思う。主治医は美しくて優しいだけではなく、私が何度も自分を信じられなくなっても、年齢や色々なリスクに嫌になっても、私の前では私の妊孕性を全面的に信じているように見せてくれた。きっと伝えにくいであろうこともいつも言葉を選んで傷つかない形でお話しいただいたり、内診や処置だけでなく、声掛けなども含めひとつひとつを丁寧に対応をいただいた。色々伝えたかったし、それなりに考えてもきていたはずなのに、涙を堪えるのが必死で何も言えず、「言葉にならないです、ただただありがとうございました」と涙をマスクで誤魔化しながら連呼してました。「いつでも、心配なことがあったら連絡くださいね」と微笑んでから、初めて「この度はおめでとうございます」と言っていただき、またも涙腺崩壊。

これはもういかん、他にも患者さんがいるし、と、とっとと退室することにしました。

今思い出してても涙出てきます。

 

ついでにいつの間にか異型増殖症でフォロー中の婦人科の方の受診予約も手配いただいていて(横の連携、素晴らしい)、そちらの方も情報提供書をいただくことに。(婦人科に関しては転院しないことにしました。)「今回妊娠なさったとのことで、良かったですね」といつものようにさらっと話をする婦人科主治医に、「先生をはじめとしたみなさんに、子宮を温存していただけたので、本当にありがとうございました」と伝えると、婦人科主治医は少し慌てて、「いやいや、めいこさんが頑張ったからですよ」と頷いてくれた。いつもクールで淡々としているけど、内診は上手、話も質問も丁寧に聞いてくれる、たまにこうやって感情を出してくれる…この主治医にも大感謝です。

 

子宮内膜異型増殖症の診断が出て、摘出かホルモン治療で温存か、と選択を迫られた時、できれば子どもが欲しいし摘出は今選べないからとMPA治療、妊娠許可と同時にいきなり体外受精にいったものの、本当に授かることができるかなんて全然手応えがなかったです。

不妊治療中も再発することなく、何とか逃げ切れたのは運が良かっただけ。ただ、異型細胞が出なく(寛解)なってからも、妊娠許可はすぐには出ず、念入りに2クール(4か月)多めに治療しておいたのも結果的に良かったのかもしれない。

 

治療中なかなか異型細胞が消えなくても、「成果は出ている所見ではあります」と(盗み見した電カルには赤字で摘出を強く勧める、と書いてあったのに…)一度も摘出を匂わされることがなかったこともありがたかったです。「吐き気とか大丈夫ですか?」といつも気にかけていただいていました。また、不妊治療と並行したフォローアップ中も、がん検査の結果を待たず(陰性ありきで)いつも見切り発車で不妊治療が進められたことについても、不妊の主治医と婦人科の主治医が横の連携をしてくださっていたから。

結果的には本当に、最短ルートだったと思います。本当にありがたい。

しばらく婦人科の定期受診はお休みになります。

 

転院先の産科は認可NIPTをやっていないので、この病院でNIPTを申し込んでから帰宅となりました。

高齢出産でもあり、家族や親戚も高齢のため、万が一の時のサポートは事前に用意しておくためにも、NIPTを受けたい旨はオット氏には伝えてありました。オット氏は「うん、受けておこう」と同意してくれ、結果的には自分で多少は勉強して、当日は医師に質問できるくらいにはなっていました。それはまた次の機会に書きたいと思います。また、産科受診のことなども引き続き書いていきますが、不妊治療としてはこの記事で一旦お休みになります。

 

40代(採卵も)、生理不順、子宮内膜異型増殖症治療歴あり、子宮筋腫(6〜7cm)あり、甲状腺機能低下症あり、卵巣嚢胞あり、AMH0.8でした。

良好初期胚2個移植も、胚盤胞4BBもかすりもしませんでしたが、最終的に3BCと4BC(6日目1pn)の2個移植で単胎の第一子を授かりました。

ここまでお読みいただいた方々、本当にありがとうございました。