再判定日もhCGが上がらず、内膜も薄くなってきてしまったので、妊娠継続ならずでプラノバール服用中です。リセットが来たら5回目の移植周期に入る予定です。
その前に3ヶ月毎の、子宮体がん&頸がんの細胞診&組織診の検査フルコースが待ってます。うう……。前回の検査からは、気付けば2回も移植を経ています。毎回、次の検査の時こそ、なにとぞ免除になってくれますように、と毎回願っていても、「ヤッホー、検査の時期だよぉ!妊娠してないね?ウンウン、では隅から隅まで調べよー!」「ウッフッフ、(がん検査の結果が)陽性だったら妊娠許可取り消しだよぉ!」とばかりに(妄想)やってきてしまう検査。お前来るの早すぎだわ。
先生だってきっと、私みたいな全力で検査イヤイヤオーラを放ってて、なんならすぐ痛がって失神したり心拍停止する患者検査したくないだろうな。せっかくこまめに声かけて、おそるおそるかつスピーディにこなしながら、ひとつずつの動作に「大丈夫ですか?」って聞いてやってんのに、「……あ、ちょっとつらいかも……」とか「あとどれくらいですか……」とか、「無言(失神寸前)」なんてヤツ、私ならイヤだもん。先生が上手いから、なんとか頑張れてるんです。看護師さん優しいから、気を失わないようにできてるんです。いい年して予防接種の前の子どものようになっていて、本当に恥ずかしい。
ボルタレン座薬キメこむか……。
と、まずは検査が無事終わることと、BT18まで99とノロノロとは上がっていたhCGが、なんとかリセット後にストンと落ちてくれることを願っています。下がらないと、移植周期に入れませんあれほど上がれ上がれと思っていたのに、いざとなったら下がれ下がれと願うなんて、なんとも身勝手ではあります。
今回、4回目の移植にしてやっと、やっと、今までは移植をすれどもすれども0.5以下でかすりもしていなかったhCGがなんとか着床した!というところまで数字が出ました。今回移植した胚は、今までで一番、グレードとしては評価が低かったものでしたが……。
分からないものですね……。
残る胚盤胞がどれほどの可能性を秘めているのかはともかく、とにかく早く次に進みたい、何かしたい、という焦りが更に出ます。そして、妊活戦士のみなさんも、きっと、もっともっと、私よりも長く辛い苦境に立たされて、何度も落ち込んだり悩んだりをしているのだと思います。
絶えず諦めることと、絶えず諦めないことの難しさが、ヒシヒシと分かったような気になって過ごしている数日です。
増殖症になったときは、不妊治療をできない苦しさがあって、早く妊娠許可が欲しくて欲しくてたまりませんでした。いざ不妊治療をできても、かすりもしないので、検査薬の二重線なんて、私にはご縁がないものだと腐ってました。陽性が出ても色々な理由で妊娠が継続できず、相当苦しい思いをなさっている方々がいることは知っていても、そこにすらたどり着けない自分は、周回遅れどころかスタートラインにすら立っていないと思って、ネガティブ満載で自分を呪っていました。それは、ショート法バンバンやっても卵が思うように取れない時もそう、内膜が育たないとか、AMHが低いとか、甲状腺がアレとか、胚盤胞まで到達しないとかいう時もそうでした。
何気なく街中にいても、産婦人科の看板の、妊婦さんのシルエットのイラストが目について、住む星が違うんだと思うほどの劣等感を感じました。妊娠は誰かと比べる物ではけしてない、自分の気持ちとの戦い。選択肢の連続。
頭では分かっていても、それでも、自然妊娠していく友人たちと、私は一体何が違うのかと真剣に悩みました。でも一方で、「子どもは欲しいけど、相手がいない」と婚活を頑張っている友人もいたりして、妊活の話ができる友人はほんの一握りです。
なんか平気かもと思うと、ドンと落ち込んだりもしています。
期待しないように予防線をどれだけどれだけ厳重に張っても落ち込むものは落ち込むんだろう。じゃあどうすればいいってんだいー。心拍確認すら行ってない私が落ち込むのも気が早い。でも、そりゃそうさ。ダメ元だろうが可能性が限りなく0であろうが、ダメ100%なら初めからこんなことやらんのだよ。こんな痛い思いしたり具合悪くなったりしながら仕事の調整付けてせっせと病院に通って、高いお金をドブに捨てるわけないのだよ。そして、人には信じたい物を信じる習性があって、少ない可能性をどうにか勝ち取りたいともがいているのです。
ただ、不思議と、成果が出ている人への妬みのような感情は出ません。焦りと劣等感はあるけれど。
私が妊婦さんを直視できないのは、私にはまぶしすぎる存在で、自分がそこに届くと思えないからであって。これは感情の矢印が私に向いている時の話。私から外に向いた感情においては、お一人お一人のお腹の中の命は本当に尊くて、きっとドラマが無数にあって、どうか母体に負担少なく、かつ無事に生まれてくれて、すくすく育って欲しい、と、それはまるで自分の事のような親近感を持ってしまう。SNSなどで妊活戦士のみなさんに陽性が出る度に、まず嬉しくてたまらないし、移植と聞けば、どうかどうか上手くいって欲しいと願わずにはいられないし、フライング結果や判定日と聞けば、ドキドキしてしまう。また、残念な結果と聞けば、なんだか本当に言葉が出ないほどに悲しくなる。
こんな気持ちは、きっと自分が不妊治療をしなければ知らなかったし、本来知らなくても良い感情なのかもしれないけれど、私は知って良かったと思う。こんなにたくさんの方々が、心から切実に切実に、子宝を望んでいるということ、私もその端くれとして、一員であることそのものは、とても心強い。子どもを望めること、諦めないでいられるそのもの、に、恵まれている幸福が、まだ私の手の中にはある。
そして、少なくとも、私は口が裂けても、「子ども作った方が良いよ」とか、「一歳でも若く産むべき」とか、「高齢出産は親のエゴ」とか、「子育てしてこそ一人前だよね」みたいなことは、誰にも言わないし、言えないだろうから。
そして、仮にそんなことを、私の心の支えともなっている妊活戦士のみなさんに、言いやがるような輩がいたら、その一人一人のところに行って、その間に立って「それはそうと、あなたは終活、いつするんです?あと、遺言書くなら早いほうが良いですし、介護費用や葬式代などは、その大切な大切なお子さんに迷惑掛けないよう、ちゃんと残した方が良いですよ。あと、お墓も。」とか、「ちなみに、自慢のお子さんお孫さん、学力ってどうなんですか?とにかく絶対いい大学入った方が良いですよね。絶対絶対、偏差値高い学校行った方が良いですって。あの、選択肢も広がりますしね。あと、学費かかるから、たくさん貯めておくか、返済不要の奨学金もらえるくらい勉強できるようにはしておいた方が良いですよ。」とか、分かりきってる、できるならするよ、みたいなことを、さも知らないようだから教えてあげるね、と親切心のみの曇りなき笑顔で、オウこら、言ってやりたい。(同じ土俵に立ちたくないから、言わないけど)