北海道のくまちゃんはヒグマで、大きくて強い。

遠くから見ていると丸っこくてかわいいとも言えるけど、遠くて安全な所から見ているからそう思える。

または動物園みたいなガラス越しに見ている時も、かわいいと思える。

しかし、自分が獲物となる距離にいる時は全く違う。

自分は「獲物」だからだ。

 

少し前に山ガールブームが始まった頃、私も大自然と非日常を求めて登山を始めた。

そしてすぐに気づいたのは、どの山にも必ずくまちゃんはいるということ。

そして、くまちゃんと人間は全く同じ土俵に立っていて、安全なガラスも無いということ。

衝撃だった。

登山が認められているような山で、しかも民家の裏にあるような低山で、くまちゃんは何の規制もなく自由に暮らしていて、すべては入山した側の人間の自己責任なのだ。

「自分の命は自分で守る」

 

幼少から登山をしているような山男みたいな人たちは「登山道には来ない」とか言ったが、私には何を根拠に言っているのか信じられなかった。

怖い。私はくまちゃんと同じ土俵に立つことが怖くて仕方がなかった。

なので、登山は無理。

趣味にしたかったけど、無理だった。

 

くまちゃんの恐ろしさは、そういう実体験に基づかないとわからないだろう。

出遭ってしまったら、運良く離れて行ってくれることを祈るしかないのだ。

攻撃されたら、人間はかなわない。武器を持っていても難しい。圧倒的に「狩る側」と「狩られる側」の差を見せつけられる。どんな目に遭うかは『ゴールデンカムイ』を読むといい。

 

福島町に「クマを殺すな」と電話をしているとんでもない人が何十人もいるようだ。

怒りを感じる。福島町の住人の命が心配ではないのか? 町中で殺されてしまった男性を不憫に思わないのか?

森の中で暮らしているくまちゃんは良い。町中に来てしまったくまちゃんには、「ここは来てはいけない場所だ」と再認識されなければならない。人里に来るくまちゃんは、危険な猛獣でしかない。くまちゃんを殺すのが楽しくて殺すのではない。人間が殺されないために仕方なく殺しているのだ。

 

人間とクマとどっちが大事なのだ?

クマの檻に生身で自分が入ったらどうなるのか。仲良く暮らして行けるのか?

自分は仲良くしたくても、クマは違うだろう。

 

小さい町だから、福島町の人手はわずかしかいない。

クマの脅威に晒されている人たちに対して、安全な所から他人事として綺麗ごとを言うのは卑怯である。

町民のための役場だ。町民のために頑張ってほしい。

町民でもない者が町の電話を占領して自分の理想を語るために時間を割かせるなんて自分勝手だと思う。

 

くまちゃんは猛獣である。

ときに人間も食べる。