月刊ペン事件②
月刊ペン事件(1976年~1987年)
創共協定(1974年〜1984年)池田大作と宮本顕治が結ぶ仲介者は松本清張
「言論出版妨害事件」を厳しく追求した共産党を大人しくさせる為に、池田大作は創共協定(今後10年間お互いに誹謗中傷せず全ての問題は協議によって解決する等)を結ぶ。
月刊ペンが池田大作の女性問題を掲載した経緯
創共協定の事を知り、寝耳に水の公明党は反対、反発
自民党と公安関係者は反体制側に寝返った裏切り行為とみなす。
池田大作はハワイへ逃げ出す✈️
😅
1976年初頭
公安調査庁の下請けだと自称する情報屋(安藤竜也)が『月刊ペン』に池田のスキャンダルを売り込む
持ち込まれたネタ
「戸田城聖が情婦の柏原ヤスを参議院議員にしたように、池田大作も、情婦を国会議員にしている。渡部通子と多田時子である。特に多田は、旧姓は湊といったが、お下げ渡しで、参議院議員の多田省吾にあてがったのである。渡部通子は、渡部一郎代議士の妻である。
その他、池田大作のお手付け女性は数知れず、いずれも、やせがたで、プロポーションが良く、インテリ風のタイプである」
↓“名誉毀損”で逮捕されるほどの記事とは?
1976年3月1日発売の『月刊ペン』4月号
「極悪の大罪犯す創価学会の実相」「戸田・大本仏に勝るとも劣らない漁色家・隠し財産家“池田大作・本仏”」
「彼は、学会内では、“池田本仏”であり、その著書(?)『人間革命』が日蓮大上人の『御書』と同じ地位に祭りあげられているにもかかわらず、彼にはれっきとした芸者のめかけT子が赤坂にいる。これは外国の公的調査機関も確認しているところである。さらにT子のほかにもう一人の芸者のめかけC子が、これも赤坂にいるようである。ところで、そもそも池田好みの女性のタイプというのは①やせがたで、②プロポーションがよく、③インテリ風──のタイプだとされている。なるほど、そういわれてみると、お手付き情婦として、二人とも公明党議員として国会に送り込んだというT子とM子も、こういうタイプの女性である。(中略)それにしても戸田のめかけの国会議員は一人であったので、池田のそれは大先輩を上回る豪華さではある!しかも念のいったことには、この国会議員であった情婦のうち一人を、“会長命令”(!?)かなんかで、現公明党国会議員のWの正妻にくだしおかれているというのであるから、この種の話は、かりに話半分のたぐいとして聞いても、恐れ入るほかはあるまい」
告訴したが、証人として出廷したくない池田大作の為に裏工作が始まる。
腐敗😭
学会側は北条浩・第四代会長、大野潔・衆院議員(いずれも当時)らが、警視庁捜査第四課に圧力をかけて、刑法の名誉毀損容疑で逮捕させたことから、大きな問題となった。
当時の学会首脳は、池田を裁判での証人に出さないという条件で警視庁に事件にしてもらったのだが、検察側から「公判では池田会長には証人に出てもらいたい」という打診があったために、内部で大騒ぎになった。
顧問弁護士だった山崎正友による裏工作ルートと、もう一人の学会顧問弁護士・小谷野三郎が、一審の東京地裁の裁判長とも密会し、池田を証人に出さないで済むようにわたりをつけるとともに、小谷野と親しかった藤木英雄・東大教授を学会サイドに有利になるよう法廷で証言するよう話をまとめ、その見返りとして、藤木教授の弟子を創価大講師に招くなど(この工作は山崎が担当)、まさに微に入り細を穿つ根回しを行った結果、「池田先生を法廷でさらし者にすることなく」、第一、二審では、隈部被告に懲役十ヵ月、執行猶予一年の有罪判決が出た。