嫌な記憶 |  「がんになんて負けたくない」

 「がんになんて負けたくない」

2009年10月に左肺切除手術後、1年3ヵ月で再発。
イレッサを3年6ヶ月、タルセバで12か月治療したものの、 
多発脳転移・右肺転移・左副腎転移が明らかに。
闘病も8年目に入り、抗がん剤の治療を開始。まだまだ癌との共存が続きます。

湿疹は、ステロイド剤が効いて、ずいぶん良くなりました。

まだ完全ではないのだけれど、ほっと一安心。

とっても嬉しい o(^▽^)o  


でも、その気持ちを消し去るような、嫌な記憶が……


今日は、知り合いのお見舞いに出かけました。

私が受診している病院とは違う、別の総合病院です。

入院病棟へ向かう途中、白衣の前ボタンはとめず、

ポケットに手を入れて、足早に歩いてくる女医さんとすれ違いました。

マスクをしていましたが、目元の華やかさから、美人さん…だと、

思いました。

が、その瞬間、嫌な記憶がわき上がってきました。


それは、私が、気管支鏡の検査をした時のこと。

肺がんの告知前、確定診断には必要な検査なのでしょう。

苦しい検査であっても、患者は耐えねばならない。。。


検査前、肩に筋肉注射されて、車椅子で気管支鏡検査室へ。

注射してくれた看護師さんは、肩を出す時に、さりげなくタオルをかけてくれて、

頑張ってね…と、笑顔で励ましてくれました。

その後、検査準備室みたいな所で、マスクをした女医さんが、

無言で、私の喉の奥に何度も麻酔を噴霧しました。

目の前の女医さんの目元は、アイラインくっきり、マスカラはっきり、

アイシャドウしっかりで、あなたは本当に医者?と、疑う程でした。


隣の検査室へ向かう時に、私の背中に手を廻し、

「どうして、ブラしてるの?取って!」って。

(何の説明もなかったもの、してるわよ)

脱衣所もないその場所で、

沢山の放射線技師がいるその場所で、

私は、ブラをはずしました。屈辱でした。

女医さんは、タオルをかけてくれることはありませんでした。


検査台に横になり、目隠しされて、後は任せるしかありません。

聞こえるのは、女医さんと指導しているような2人の男性の声。

気管支鏡は、苦しい。

経験のある方なら、おわかりだと思います。(ノ_-。)

咳も出てしまうのです。。止めようと思っても、気管支にカメラを入れるのだから。

その女医さんは、「ちょっと、咳止めて!」って。

咳が続くと、「もう!」と、言って、麻酔を入れてるようでした。

(止められるものなら、止めてるよ。。)


2人の男性と、あーだ、こーだと、言いながら、

時々、あははって、笑いながら私の検査をしていました。

私は、苦しくても我慢していました。

(笑いながらやってるのは、たぶん、異常じゃないからよね)

そう、自分に言い聞かせて。。。


そして、呼吸器内科受診日。

担当の先生は、呼吸器内科のトップの先生。

「肺癌ですね、これから、いくつか検査して頂きます」

………え、何、……

次の診察の人は、この薄っぺらいカーテンの後ろにいるのに…

いとも簡単に肺癌だと口にされ、私は、ぶち切れたのでした。


「気管支鏡をやったあの女医は、笑いながらやってたのよ!

笑ってやってるから、大丈夫なんだろうって、苦しくても我慢したのよ!

あんた達、医者には、どうせ経験を積むだけの実験材料なんでしょうけれど!

どうして、いとも簡単に、がんって言うのよ!(号泣)」

先生は、私の迫力に、顔色変えておろおろ。。

でも、傍にいた看護師さんは私を抱きしめてくれて、

くやしかったのね。。って。



あの時の、女医。

今日、すれ違った人と重なった。。。嫌な記憶。

せっかく、良くなった湿疹がぶりかえしそう…。゚(T^T)゚。



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