〜これから入学するワーママさんへ〜


私立小学校の入学初日。


「やっとこの日が来た…!」

という嬉しさと、

「これからどんな日々が始まるんだろう」

というドキドキが入り混じった朝でした。


私立小って、やっぱりまだまだ特別な世界。

首都圏でも、ほんの数%しか選ばない道。


そんな世界に、右も左も分からないまま飛び込んだ私。


入学初日、ワーママの思考はこうだった。

授業初日はオリエンテーション中心で、

「数時間後にお迎えに来てください」とのこと。


(よし…2〜3時間あるな)

(近くのスタバで仕事したら、めちゃくちゃ捗るやつ)

そう思い、紺スーツ姿でノートパソコンを持参。

完全に“仕事モード”でスタバに入りました。

その時、事件は起きました


しばらくすると…

どやどやどや

20人?30人?

明らかに同じ学校のママさんたちが入店。

え?もう交流してるの?


え?どうやってこの輪できたの?


幼稚園組?

みんな知り合い?

初日なのに???

私はというと、

スタバの片隅でパソコン全開。

今さら席を立つこともできず、


・目を合わせない?

・知らないふり?

・いや、それも不自然…


頭の中がぐるぐる。


結果、

仕事は全く進まず、

心だけがザワザワ。

初日から私、大失敗じゃん…


でも、これは「失敗」じゃなかった


トボトボお迎えに向かい、

校門で息子を待っていると、


「こんにちは」


と声をかけてくださったママさんが。


お話ししてみると、

待ち時間は別のカフェでお仕事をされていたそう。

「明日も一緒に仕事しながら待ちませんか?」


…神ですか。


この出会いに、心底救われましたガーベラ


後から気づいたこと


私は保育園ママ。

仕事をするのが当たり前で、

ママ友との距離感も割とドライ。


一方で、幼稚園ママさんたちは

「待ち時間=交流」の文化に慣れている。

お付き合いがとても上手。


どちらが正しいとか、間違いとかじゃなくて、

ただの文化の違いだったんだなと、後から気づきました。


これから入学するワーママさんへ

もし入学初日


・輪に入れなかった

・交流に戸惑った

・仕事してたら浮いた気がした


そんなことがあっても、

全然大丈夫。


初日から無理しなくていいら、

学校生活は長い付き合いですから。

合う人とは、

ちゃんと後から自然につながると感じてます。


初日はぜひ、

少しだけ様子見でも◎。


あの時のスタバは地獄でしたが(笑)、

今となっては、いい思い出です。

保育園ママが私立小に入って

戸惑うこと、きっと他にもたくさんあります。

でもそれは「向いていない」わけじゃない。

ただ、慣れていないだけ。


これから入学するワーママさんの

心が少しでも軽くなったら嬉しいです。




― お受験ドラマの“その先”にあったもの ―


何気なく見始めたドラマ

ピンク薔薇「フェイクマミー」ピンク薔薇


「お受験の話なんだな」

最初は、正直それくらいの軽い気持ちでした。


川栄ちゃんかわいい🩷波瑠さんすっごく綺麗🤩

野呂ちゃん大好き😘橋本まなみさん先日駅でお見かけしました〜💕

なんて、のんびりコーヒー片手に観てましたが…



でも、見進めるうちに

これは“お受験ドラマ”というより、

今を生きる女性たちのドラマなんだと感じました。



描かれていたのは「私立小」ではなく現代をいきる「女性たち」


このドラマには、象徴的な3人の女性が登場。


育児と仕事に奮闘する、働く社長ママ

東大卒のエリート独身女性

私立小を象徴するようなママたち


そして、

プレッシャーの中で子育てをする母親たち。


それぞれ立場も価値観も違うけれど、誰もが必死に生きている


そこがとてもリアルでした。

どの女性が見ても自分に重ねながら見ることができます。




これまでの「お受験もの」ドラマといえば、

教育ママ同士のマウント合戦

姑からの強烈なプレッシャー

子どもとの関係が壊れていく家庭

最終的に家庭崩壊…


そんな描かれ方が多かったように思います。


でも、フェイクマミーはそうした従来の描かれ方とは少し違っていました。

今の時代を映す“女性像


このドラマに登場するのは、

働くママピンク薔薇

シングルマザーピンク薔薇

独身女性ピンク薔薇

そして、何かを手放して子育てに専念する専業主婦ピンク薔薇


今の日本社会を生きる女性たち、そのもの


どれが正解、どれが不正解でもない。


それぞれが、

自分なりの選択をしながら、

悩み、葛藤している。



フェイク(偽り)なのは、ママ?なのか?


もちろん、

「偽りのママがお受験をする」という設定は

現実離れしている部分もありますバイキンくん


でも、このドラマの本質は

そこではないのでは?と思いました。


本当に“フェイク”なのは、


女性が働くことが当たり前の時代なのに

子育てとの両立は自己責任

子育てに専念すればキャリアを諦める

何かを得るには、何かを手放すしかない


そんな構造が、

いまだに当たり前のように存在している社会

なのでは?という問いを優しく、誰を責めるわけでもない視線で描かれていたように思います。



働くことは当たり前。

でも、子育てを優先すると

キャリアは止まる。


どちらも全力でやろうとすると、

「無理をしている人」

「欲張りな人」

そんな目で見られることもある。




フェイクマミーは

「お受験ドラマ」を題材にした

“今を生きる女性のドラマ”

だったのだと思いました。



冬休み、のんびりみかんでも食べながらもう一度見ようかな。そんなドラマでした。

ぜひ皆さんもご覧くださいね~コップ



子どもの世界に、親はどこまで入るべきなんだろう

最近、考えることがあります。

子どもの人間関係に、

親はどこまで関わるのがいいのだろう、ということ。

先日、先生から保護者にこんなお話がありました。


クラス替えの際に、

「この子とは一緒にしないでほしい」

という要望が出ることがあるそうです。


先生はこうおっしゃっていました。


配慮することはできるけれど、

本当は、その原因を解決する力を

子ども自身につけてほしい。



それも、集団生活の学びなのかもしれない


正直なところ、

私はこの先生の考えに共感しました。


合わない人がいる。

うまくいかない関係がある。


それは、社会では当たり前のこと。

避けてあげることが優しさの場面もあるけれど、

すべてを避け続けることが

本当に子どものためなのか…

少し考えてしまいました。



「混ざれないから、声をかけてほしい」と言われた日


別の日、子どもたちが数人で遊んでいたときのこと。


「うちの子が混ざれていないから、

一緒に遊ぶように声をかけてもらえますか?」


そう言われたことがありました。


その場では、空気を見て子どもに声をかけましたが、

心の中では少し戸惑っていました。


子ども同士の関係って、

タイミングや相性、空気感で成り立っている部分も多い。


一人でいる時間や、

うまく入れない時間も、

もしかしたら大切な経験なのでは…

そんなことを考えました。



私の時代とは、やっぱり違うのかな


「私の頃はこうだった」という話は、

今の時代には通用しない部分もあります。


トラブルが可視化されやすく、

親も学校も、とても神経を使う時代。


親が不安になるのも、無理はないと思います。


ただ一方で、

人間関係がうまくいかないことや、

距離の取り方を学ぶことは、

今も昔も変わらない大切な力なのかもしれません。


親は、どこに立つ存在なのだろう


最近思うのは、

親は「前に立って導く人」ではなく、

「後ろで支える存在」なのかもしれない、ということ。


危ないときは守る。

でも、基本は子どもに任せる。


失敗も、戸惑いも、

子どもなりの“練習”なのかもしれません。



私も迷いながら、子育てしています


偉そうなことを書きましたが、

私自身、完璧な親ではありません。


つい口を出してしまうこともあるし、

家に帰ってから言い過ぎたな…と

反省する日もたくさんあります。


それでも、

「どこまで関わるのがいいのか」

考え続けること自体が、

今の親にできることなのかな、と思っています。



みなさんは、どう思いますか?


子どもの世界に、

親はどこまで入るべきなのでしょう。


正解はきっと一つではないけれど、

それぞれが考えるきっかけになったら嬉しいです。