共感と同情
ブロ友さんがアドラー心理学の本を読んでいて私も少し気になる・・・と思い始めて図書館で簡単そうな本を借りてきましたまだ全部読めていないのだけれど気付きがあった部分を残しておきたい漫画でやさしくわかる…とあったから簡単に読めると思ったら意外と私にとってはそうでもなかったです漫画以外に解説的な文字の部分も思ったよりあるのだけれど言葉が難しいなかなか慣れないまま読んでいます+++タイトルにある共感と同情似ていて異なるものよく「可哀そう」という言葉を簡単に使ってはいけないなどと言われるけれどそれは同情だからですよね本より抜粋同情と共感の違い↓その第1は、共感が相手に対する尊敬・信頼があるのに対して、同情は弱い相手を強い立場にいる自分が何とかしてあげようという、支配性がみられることです。第2に、共感レベルだと、相手の関心に関心を持っていられるのに、同情モードに入ってしまうと、つい自分の関心で動いてしまうことです。第3に、共感レベルでは感情面でも自制が利いているのに、同情してしまうと相手への憐れみが先に立って、自分の感情がコントロールできなくなってしまうことが挙げられます。なるほど!これって大きなことじゃなくっても日常の些細な場面でも気付かず同情になってることあるかもって思いましたそしてそれって自分の中の価値観や正しさで相手を判断、評価してるってことかなってそしてそうなるとそこに境界線の曖昧さが生まれ対等ではない関係性から共依存に繋がったり支配やコントロールといったことが生まれるのではないのかな、と例えば私は夫が否定比較されて育ち夫の自己否定が強くつらそう・・・だから私がなんとかしたいと思ったこの時点で私は上で夫は下でも実際には私は夫の不機嫌にコントロールされる関係となったん?と思ってChatGPTに聞いてみたら同情が生まれるとこの上下関係の逆転が生まれることは多々あるらしい娘の不登校や自傷自傷は私は自分を責めたし・・・今も傷跡を見るのがつらいこんなつらい思いをさせて申し訳ない可哀そうなことをしてしまったこの感情は?不登校に関しては夫婦関係が不登校の一因となっていたので娘に申し訳ないこの感情は?可哀そうという気持ちには上下関係が含まれるでも上記のニュアンスだとどちらかと言えば自責、申し訳なさよりかな?申し訳ないと思う気持ちそれと娘を信頼して見守る気持ちこれは別物で共存するものという捉え方でいいのかなそもそも申し訳ない=原因論ということになるけれど・・・目的に切り替えていくということなのかないずれにしても境界線信頼し対等であることはすごく大事なこと今の自分の気持ちは同情であるのか共感であるのかそのあたりを意識して練習しながら少しずつ理解していけたらいいなと思います