51景 糀町一丁目山王祭ねり込 安政地震との関係 | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  51景 
 題名  糀町一丁目山王祭ねり込 
 改印  安政3年7月 
 落款  廣重画 
 描かれた日(推定)  安政3年6月15日 

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-糀町一丁目山王祭ねり込


 謎の多い絵である。月並みな解説だと、天下祭と呼ばれる山王祭で、各町の山車が将軍ご覧のために江戸城の半蔵門から、今まさに入場しようとしているところである、となるだろう。
 しかしこの絵には故意に現実とは異なる部分がある。まず半蔵門に近いほうの山車が「猿」、手前にあるのが「諌鼓鳥」になっているが、実際の順番は先頭が「諌鼓鳥」、2番目が「猿」で、さらに山王祭の諌鼓鳥は五色であるのに、白でこれは神田祭の諌鼓鳥である。江戸時代ならば、こんなことは子供でも知っている。広重はなぜこのような絵を描いたのであろうか。

 謎解き 広重「江戸百」に詳しく載っているが、安政地震との関係が大いにあることが知られている。この絵の改印の安政3年の前年、安政2年10月2日に江戸を大破した安政地震が起こった。このとき半蔵門は大破している。この崩れた様子が「安政見聞誌」に描かれている。当時の常識として幕府の施設は軍事施設ということで、描くことは禁止となっている。といっても風景画を描くときはどうしても視野に入ってしまう。例えば日本橋から富士山を描くときは江戸城が入ってしまう。こんなときははっきりと描かない、というのが暗黙の了解であった。
 ところが「安政見聞誌」は崩れた様子をはばかりなく描いてしまったのだ。描いたのは歌川芳綱。この「安政見聞誌」は無許可出版であったこともあり、版元は江戸所払、歌川芳綱は画料没収となった。
 謎解き 広重「江戸百」によると、改めて幕府の建物を描くときに絵師たちは慎重にならざるを得なかったと解説している。

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-安政見聞誌 半蔵門
安政見聞誌 半蔵門


 広重は本当に慎重にこの絵を描いたのか?次回以降で理論的に説明していきたいと思う。

この記事で参考にした本
謎解き 広重「江戸百」 (集英社新書ヴィジュアル版)

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